銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン

隔週水曜19:00-20:00ON AIR
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PROFILE

デザイナー/日本デザインセンター 代表取締役社長
原 研哉

1958年生まれ。「もの」のデザインと同様に「こと」のデザインを重視して活動中。2000年に「RE-DESIGN─日常の21世紀」という展覧会を制作し、 何気ない日常の文脈の中にこそ驚くべきデザインの資源があることを提示した。 2002年に無印良品のアドバイザリーボードのメンバーとなり、アートディレクションを開始。 2004年には「HAPTIC─五感の覚醒」と題する展覧会を制作、 人間の感覚の中に大きなデザインの資源が眠っていることを示した。 長野オリンピックの開・閉会式プログラムや、 2005年愛知万博の公式ポスターを制作するなど日本の文化に深く根ざした仕事も多い。 2007年、2009年にはパリ・ミラノ・東京で「TOKYO FIBER ─ SENSEWARE展」を、 2008-2009年には「JAPAN CAR展」をパリとロンドンの科学博物館で開催。 2010年に「HOUSE VISION」の活動を開始、2013年、2016年に東京展を開催し、現在中国展を準備中。2011-2012年には北京を皮切りに「DESIGNING DESIN 原研哉 中国展」を巡回し、活動の幅をアジアへと拡大。現在は外務省「JAPAN HOUSE」の総合プロでデューサーとしてロンドン、サンパウロ、ロスアンジェルスの3都市に日本文化の情報発信拠点を構築中。著書「デザインのデザイン」や「」はアジア各国語版をはじめ多言語に翻訳されている。日本デザインセンター代表取締役社長。武蔵野美術大学教授。 日本デザインコミッティー理事長(対談時)。日本グラフィックデザイナー協会副会長。
http://www.ndc.co.jp/hara
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RADIO REPORT

vol.242016.06.0819:00-20:00

原 研哉 × 山﨑 晴太郎

山崎
松屋銀座屋上、ソラトニワ銀座からお送りしております。銀座四次元ポケットプレゼンツ、山崎晴太郎の銀座トークサロン。それではここで、ゲストの方をお迎えいたしましょう。デザイナーの原研哉さんです。ようこそ。
こんばんは、原研哉です。
山崎
ご存知の方が多いと思いますが、僕の方から簡単にご紹介させていただきます。原さんは、1958年生まれ、「もの」のデザインと同様に「こと」のデザインを重視した活動をされています。原さんの取り組みは有名なものが多すぎて、ちょっと紹介しきれないのですが、皆さんがよくご存じのものだと「RE-DESIGN」であったり、長野オリンピックの開・閉会式プログラムであったりとか、愛知万博であったりですかね。『デザインのデザイン』や『白』などの著書も有名ですね。また、日本デザインセンターの代表取締役を務められると同時に、武蔵野美術大学の教授や松屋銀座の中の日本デザインコミッティーの理事長、日本グラフィックデザイナー協会の副会長もされています。本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。

時代の一番後ろから進んでいく感覚。

山崎
ちょっと唐突ですが、最近、デザイン業界でいろいろな肩書きが流布していますよね。アートディレクターであったり、クリエイティブディレクターであったり、コンセプターであったり。その中で、原さんはずっとご自身のことをデザイナーというふうに言われつづけていると思うんですが、そういった肩書きに対する想いというのは、何かあるんですか?
自分のことをデザイナーと言っていいのかどうかというのが、昔からずっとあって。社会の中で、“デザイナーズホテル”とか、“デザイン家電”とか言われはじめると、自分が大事にしてきたデザインが、まるっきり真逆のことのように言われてしまっているので、「これはちょっとまずいな」と。そういう認識が社会に蔓延している状況で、「デザイナーです」と名乗ってしまうと、そういうことをまさに実践しているという感じがするので、別の肩書きにしようかなと思ったこともありました。でも、やっぱりデザインというのは自分の中で大事にしてきたものですから、「今さらそこは変えられないな」と。「自分がやっていることがデザインだ」ということで、開き直ってデザイナーと言いつづけています。
山崎
そうなんですね。
実は、グラフィックデザイナーと言うこともありますが、自分が広くやっていることがデザインだとすると、あまりそこに専門的な内容をつけなくてもいいのかなということで、最近はデザイナーにしていますね。
山崎
グラフィックが外れていったわけですね。
外して言うようになったのですが、それでも最初に申し上げた通り、なんかちょっと違う感じもあって。「デザイナーというのはなんですか?」とか、「デザインというのはなんでしょうか?」と質問されるたびに、胸につかえて答えにくくなってしまうのですが。
山崎
まさに、その質問を後ほどしようと思っていたのですが(笑)。
悩ませるつもりならどうぞ(笑)。
山崎
ありがとうございます(笑)。僕らからすると原さんというのは、それこそデザインの勉強をはじめた頃から、ずっと第一線にいらっしゃる方なんですが。
僕、第一線にいるつもりは全然なくて、どちらかと言うと落ち穂拾いをしている感覚できたんですよね。
山崎
そうなんですか?
僕たちが考える第一線と言うと、やっぱり広告の世界で君臨していた浅葉克己さんとか、あるいはブックデザインの世界で非常に活躍されていた杉浦康平さんとか、パルコの広告をやっていた石岡瑛子さんとか。そういう、分かりやすいパンチの効いた、メリハリのあるデザインをされている方々がデザイナーという感じがあって。
山崎
なるほど。
僕はどちらかと言うと、もう本当にどこにデザインがあるのか分からないような、そういう部分を見てきているところがあるし。時代のその先を突き進んでいくというよりも、時代が落っことしていったものを後ろから少しずつ拾いながら。「RE-DESIGN」とかもそうですしね。
山崎
まさに、ですね。
視覚・聴覚を魅了するのではなくて、「感覚の全体性を取り戻しましょう」とか、そういうことを考えながらやっています。時代の一番後ろ側からいっている感じがするんですよね。だから第一線と言うよりも第五線ぐらいのところにいつもいるという、そういうポジションです。
山崎
その感覚というのは、いつ頃からですか?
はじまりからそうです。そういうものがデザインだと、直感的に思っていたんでしょうかね。
山崎
なるほど。そもそも原さんがデザインをはじめられたきっかけはなんだったんですか?
小学校の低学年から高校を卒業するまでずっと絵を描いてきたんですよ。高校時代なんて、深夜のラジオ番組を聴きながら、ひたすらキャンバスに向かって絵具を塗っている人だった。ただ、美術方面に進学するつもりは毛頭なかったけど、あるきっかけで、当時の美術教師から、可能性をほのめかされて、「ああ、そうか」と。他の分野にはこれといって自信がないけれど、造形みたいなことに関しては可能性があるのかなと思ったのがきっかけですね。
山崎
そうなんですね。
結局、美大に進んだんですが、学科を選ぶときに、時に長年親しんできた絵画みたいなものは全然頭に浮かばなくて、デザインという領域を知って、「あっ、デザイン、それだ!」と直感的に思ったんです。だから「デザイン」ということに関してはすごく反応しました。しかしデザインは好きだけれど、「ナー」になるかどうかということに関しては、ちょっと躊躇があった。いまだにそうですね。
山崎
そうですね。冒頭のお話しにもありましたもんね。
「デザインを携えて生きている人」だとは思いますが「デザイナーですか?」って言われると、「うーん、“ナー”かな?」みたいな(笑)。そういう感じです。

世の中に見えていないものの可能性をビジュアライズする

山崎
原さんは、言葉をすごく大事にしていらっしゃる印象があって。僕が言うのもなんですけど、文章を書くのもとてもお上手ですよね?
自分ではあまりよく分からないですけどね。でも、言葉はできるだけ正確に、間違いなく伝わるように話しているつもりです。これは職業柄かもしれないなと思うんですよね。やっぱり、デザインの仕事というのは説得業なんですよ。だから自分で、「あっ、見つけた。ここが問題だ」とか、「それを解決する方法としてはこんなやり方が効果的だろうな」という風に、いいポイントに気がついたときに、自分の着想をクライアントにもその周辺の人たちにも間違いなく精密に説明しなくてはいけない。そうしないとせっかくの着想が台無しになるんですよね。ユニークなポイントを見つけた瞬間に、「これをちゃんと説得するためには、どういう言葉を使ったらいいだろうか」ということをわりと考えます。だから僕の文章のはじまりは、たぶん企画書だと思うんですよね。
山崎
なるほど。
企画書を書くという行為が、デザインの仕事の中では、すごく重要です。エッセイを書く前にずいぶんと企画書を書きました。「どういうふうな言葉を使うと間違いなく届くかな」ということを。そのあたりでトレーニングを積んだかもしれないですね。
山崎
なるほど。それこそ、今のデザイン事務所や広告代理店の方って、クリエイティブはクリエイティブ、マーケはマーケというふうになっていて、企画書を全部ラップして書くということはなかなかないじゃないですか。そういうのは、時代によって変わってきたなと感じられたりしますか?
僕は広告代理店の働き方っていうのは、よく分かりませんが。デザイナーとかアートディレクターというのは、全部できなきゃいけないと思っています。「企画書も、スケジュール表も、見積もりも、できれば自分で書きなさい」ってスタッフにはいつも言っているんですよね。そういうことがとりあえず全部できなくてはいけない。「スペシャリストであると同時に、ゼネラリストである」ということが、やっぱりデザインをやることの、アーティストと違う部分だと思います。
山崎
なるほど。長年デザインという世界に携わってこられて、業界はやっぱり変わってきたと感じますか?最近だと、僕とかもたぶんそうだと思うんですけど、領域というものがどんどん融解していっている気がして。それこそ、やりたいと思うことが、全部できてしまうような環境が徐々にできてきているのかなとは思うんですけど。
集中の時代と拡散の時代、あるいは、分離・独立させる時代と横断・融合する時代と言うか、時代によって物事の捉え方が変わっていくんでしょうね。デザインにしても、文学にしても領域がいろいろあった。小説でも、短編小説だけを書くというようなスペシャルな領域がありましたよね。今は、数学者でも生物学者でも誰でも文章を書きます。文学も数学も生物学も、見つめている先は同じかもしれませんが、本質にたどり着く道筋が違う。しかし現在はそれすらも緩やかに横断的になってきています。数式を用いないで情緒を模索する数学とかね。デザインも同じです。本来、デザインというものに領域はなかったわけですけど、そこをあえて、空間デザインとか、ビジュアルコミュニケーションとか、そういうふうに分割してきたわけです。確かに、分割することがいい時代もあるんですよね。全部横断的にして、全部融合し統合していくと、そのうちに曖昧すぎて分からなくなるかもしれない。そういう時に「僕は空間のスペシャリストです」と言ったら、「かっこいい、やっぱり専門家じゃなきゃ」みたいに思われるかもしれない。だけどここしばらくは「領域を横断しています」とか「できるだけ幅広くやります」とかいうのが、常套句みたいになってきています。本当のところはどうなんでしょうか。自分のスペシャリティがどこにあるかということは、少しはわきまえておいたほうがいいと思いますけどね。
山崎
確かに、そうですね。ちなみに、どの時代が良かったとかありますか?
僕が日本デザインセンターに入ったのは1983 年。社員番号というのがあって、8312というのが僕の番号なんですよ。83年に入社した12番目の人という意味です。ちょうどバブルの絶頂期だった。当時は夜遅くまで仕事していると、タクシーで帰れなくなる。タクシー会社に電話すると、ずっと通じないんですよ、話し中で。夜中の3時ぐらいまで通じない。六本木あたりでは、1万円札を掲げてタクシーを止めていたそうです。そういう時代だった。
山崎
すごいですね、それは。
だけどそういう時代の恩恵を、駆け出しのデザイナーだった自分は、まったく受けていない。
山崎
なるほど。
足は高速に回転しているけど、地面を蹴ってはいないという時代ですね。足の回転が、空を切らないで、多少とも地面を蹴って進めるようになったかなと思ったのが30歳を少し過ぎたぐらい。90年台の始まりのころですかね。バブルが終わって、日本がとてつもなく長い冬の時代に突入していく、いわゆる「失われた20年」とか言われているところが、僕らのフィールドなので。「あの頃は良かった」という感じの時代は、遠く後ろに流れて言ってしまった風景として見送ってきたところがありますね。そういう意味でも、落ち穂拾いがいいみたい。
山崎
その時代に、考えていたとことや体験したことというのが、先ほどおっしゃっていた、世界を後ろから俯瞰するというような感覚につながっているんですか?
経済とか成長とかにあまり価値を置いていないので、日本も世界もわりとクールに見てきているところがあると思います。成長を超えた次元から発想していくのが、今の時代としては重要だし、自分のスタンスだなと思っています。
山崎
そうすると、デザイナーっていろいろな定義があると思うんですけど、原さんにとって、デザインって何をデザインする仕事だと捉えてらっしゃいますか?
ビジュアライズすることです。もちろん、ケース・バイ・ケースだと思いますが。ひたすら掃除をすることが大事な時もありますけれども。価値をもった製品やブランド、あるいは組織体のアイデンティティーを上手にビジュアライズするのもデザインだし、その価値を、広告を通して、うまく伝えたり広めたりするのもデザイン。明快な機能を持ったプロダクツに、最適なかたちを付与するのもデザイン。そういうことがデザイナーの仕事として、もちろん大事ですけれども。今のような、産業の未来も、世界のこれからも、資本主義の未来も見えにくくなっている時代のデザイナーの役割というのは、まだ未発の状態で、世の中に見えていない、機前の状態にたゆたっているような可能性を、分かりやすく明晰にビジュアライズすることが重要かなと思って仕事をしています。
山崎
潜在的なものを、引き上げるような。
今年の8月にも「HOUSE VISION」という展覧会をやります。「原さんは、住宅や建築に興味があるんですか?」と言われますが、そうじゃなくてね。僕は未来に興味があるわけです。ですから、家という誰もが分かりやすいプラットホームで、エネルギーのことも、通信のことも、移動のことも、高齢化社会の問題や、農業のことも、いろいろな可能性を目に見える形にしてみようと。そうすると「なるほど、こういうふうになっているのか」と具体的に見えてくる。そこに僕らのやる仕事がはっきり浮き上がってくるので、そこを捕まえていくんです。要するに、潜在している可能性を目に見える形にしていくということが、今の世界の状況の中でデザイナーがやるべきことだと思っています。創造性というのはそういうところに宿るわけですよ。「だったりして」と仮想しつつそれを「分かりやすく見せる」というのが現代のデザイナーの役割です。半分冗談みたいでもいいのです。「こうだったりして」「ああだったりして」といいながら……。
山崎
「もしも」みたいな、そういうやり方ですね。
そうそうそう。それをわりとリアルにやってあげることで、みんな「そんなわけないじゃん」とか、「そういう可能性もあるかな」とか、リアルに反応できる。そういうふうにちょっと揺さぶっていくことが大事かなと思っています。

エキシビションでつなぐ、才能の可能性。

山崎
今の未来のお話もそうですけど、それぞれの人に考え方の癖というのはあると思うんですね。僕の場合は、ずっと演劇をやっていたので、身体性や役作りみたいなところから、未来を描いていくというやり方なんですけど。原さんは、どうやって未来に向かって、ご自身の想像を向けていらっしゃいますか?
僕の場合はね、エキシビションをつくっていくことが多いです。少し演劇と近いかもしれません。僕は自分でデザインすることも好きだし、そこを粗末にするつもりはないのですが、自分以外の多種多様な才能を活用していくことにもとても興味があります。
山崎
なるほど。
だから、エキシビションには必ず、隈健吾さんとか、坂茂さんとか、藤本壮介さんとか、佐藤卓さんとか、津村耕佑さんとか、いろいろな人たちに登場してもらうんですね。そういう人たちの才能が、僕にはすごくキラキラ光って見えて、その人たちの才能を活かして、普段とは違うフレームの中で演技をしてもらって、それを一つのメッセージに仕立てていけるとおもしろいと。
山崎
それは、演出家みたいな気持ちですか?
そうかもしれません。そこに例えば、百貨店とか、あるいは、Airbnbのようなシェアリングエコノミーの企業が入ってくるとか。あるいは、ヤマト・ホールディングスのような流通業が入ってくるとか……。「才能と企業を掛け合わせる」かたちで、仕事を勝手に融合させてみる。エキシビションというのはそういう実験が許されるものであるし、それが非常にエキサイティングなのですね。だからもう癖になる。展覧会を作り始めたのは、1989年あたりからですが、転機になったのは、2000年のTAKEOPAPER SHOWで「RE-DESIGN」という展覧会です。自分でも目から鱗の落ちる感覚がありました。ああ、世の中というのは展覧会のメッセージで変えられるかもしれないという実感のようなものです。それ以降そんな仕事がつづいているという感じです。
山崎
なるほど。自分がデザインをして、何かを表現したいという欲求の形と、それをつなぎあわせて新しい形にするという欲求の形は、ちょっと違うような気がしていて。その根底にある欲求というのは、プロデューサー的なものなんですかね?
プロデュースはしますが、プロジェクトの細部に渡ってデザインをきっちりと作り込んでいくのが自分流です。例えば、展覧会の名称は、メッセージとしてとても大事です。ここは考え抜きます。そしてそれをロゴタイプにする。象徴的なポスターも、展示空間や展示デザインももちろん大事です。そして展覧会の成果を、必ずしっかりとした書籍にして残します。展示物を写真に撮ったり、WEBに編集したり、音声ガイダンスのアプリをつくったり……。そのすべをてデザインしていくんです。プロデュースと、プロジェクトのそれぞれの局面をデザインするのは、全く違う仕事だと思います。自分はプロデューサーというよりも、企画と構成、つまりプロジェクト全体のデザインをやっている感じなんですね。
山崎
なるほど、勉強になります。ちなみに、この松屋銀座さんのリニューアルも手掛けていらっしゃいますよね?
松屋銀座は段階的にリニューアルしましたが、始まりは2000年ですから、だいぶ前ですけどね。もう、16年前になっちゃいました。
山崎
覚えてらっしゃいますか?
もちろんよく覚えていますよ。僕は33年間、銀座に通っていますから、銀座は僕にとっては町内みたいなものです。松屋がリニューアルをするという噂を聞いたときは「大変だ!」と、これは町内の出来事として住人としては黙って見ていられない。
山崎
ああ、そっちの目線で。
そう。町人としては黙っていられないという。特に松屋に対しては、僕は時々お節介をしたくなるんですけど、その時もそういうものの一環だったかも分かりませんね。
山崎
その時は、どのような考え方で、リニューアルされたんですか?
それまでは「生活デザイン百貨店」と言われていたんですけどね。それも、僕はすごく好きだったんですよ。コーポレートカラーが、濃い目のブルーだった。生活デザイン百貨店って安心できるなと。いわゆるファッション百貨店とか、トレンド百貨店とか言われるとちょっと落ち着かないんですけども、生活デザインはすごく地に足がついている感じがして、僕らに対して優しくていいなという印象があったんですね。ところが、これが「ファッションの松屋になります」というふうな話だったので、「あっ、それは大変だ」と思いました。だけど、いわゆるギラギラした松屋じゃなくて、ファッションも含めいろいろな可能性を輝かせる、すごく良質な背景というか、そういうような意味で、現代美術館のような、いわゆるニュートラルな背景としての「ホワイトキューブ」のような百貨店はどうだろうかと思ったのです。それで、「白い百貨店はどうでしょうか」というご提案をしたんです。

書くことで、情緒のレベルから知性のレベルへ。

山崎
少し、先ほどの言葉の話に戻ってしまうんですけども。ご自身の著書であったりとか、無印良品の広告であったりとか、たくさんの文章を日常的に書かれていますよね。企画書にはじまって、それこそ『DESIGNING DESIN』なんて、感覚として辞書に近いと思うんですけど。あれぐらいの想いを持って文章を書き上げる時に、その源流にあるものはなんですか?
自分が書くのは、デザインの話ですね。それしか書かないんですよ。
山崎
それは、後世に残そうとか、そういう感覚ですか?
書くこととデザインすることは、そんなに自分の中では乖離したことじゃないんですね。だから企画書を書くのも、『白』を書いたりするのもそんなに気分としては変わらない。頭で考えていることを、より正確に反芻して、より正確にそれを把握したいというような気持ちで書くんです。僕は、いきなりね、すらすらとテキストが浮かんでくるわけではなくて、3段階ぐらいで書いていくんですよ。
山崎
推敲しながら。
そうです。最初は成功談を書こうと思って書きはじめても、「あ、これは失敗だったんだ」というふうに気がついて、内容が劇的に変わったりすることもあります。自分で書きたいと思うことは、アバウトに、情緒的に掴んでいると思うのですね。だけど、書く前は、それが知のレベルに落ちてきていないんですね。それが書いていくプロセスの中で、だんだんと明らかになってくる。これは、文章もそうですし、展覧会でもそうですよ。実際にやってみると、「あ、なるほど」って。情緒の水準から、知の水準に物事が変わってくるんですね。知性のほうがより高級というわけではないんですけど、クリアーになるのでさらにその先に進める。
山崎
なるほど。合わせ鏡と言うか、自分自身の答え合わせというか。
答え合わせかどうかは分かりませんが、合わせ鏡であることはその通りかもしれません。「右手には右手の仕事、左手には左手の仕事を」というのが、自分のモットーですから。デザインは右手の仕事かもしれませんが、文章を書くというのは左手の仕事で、それぞれが補完し合っていくというか。「デザイナーは造形で勝負すべし。黙して語らず、成果だけを見せればよろしい」という潔い考え方もあるとは思うんです。たぶんそれが正統な姿で、僕は邪道をやっているんだろうなと自分では思うんですけど。
山崎
いえいえ。
でも、自分としてはそういうスタイルになってしまったので。
山崎
そのスパンってどのくらいのリズムですか? 例えば、ひとつの仕事をする時にも、右手と左手が交差しながら進んでいくのか、今のお話みたいに、右手がガーッと行って、それがなんかモヤモヤした形になって、その後に左手がくっついてくるのか。
どうでしょう。まあね、両手で刀を持っているようなもので、右手で持っているのか、左手で持っているのか、よく分からないです。最近、仕事をしながら言葉を書かなくてはいけないことが非常に多いんですよ。無印良品でもそうですけど、新聞広告をつくったり、ポスターをつくったりする時に、コピーを書くという段階で、コピーライターに言葉を書いてもらうことではないな、と感じてしまったんです。展覧会も、企画の段階で考えたり感じたりしたいろいろなことを書籍に落としていく時には、それを言葉にしていこうと思う。そういう局面が非常にたくさんあるんです。書籍のサムネイル、スケッチは最初から最後までビシッと、240ページなら240ページのスケッチを精密に描くんですけども。その中にで、文字部分を手描きの線で一本ずつ描いていきます。線を書きながら、「ここはこういうことを書くかな」と思いながら線を引っ張っている。それをフィニッシュするときも、自分で設計したレイアウト通りに、文字数ぴったりで書いていくのね。だから、デザインしている作業と言葉をつくっている作業が同時に発生していく。この作業をプロデュースとは言わないでしょ?
山崎
言わないですね。
デザイニングと文書を書く作業が同時に進んでいって、それが展覧会の形になっていくということですかね。
山崎
なるほど。
今ちょうど、『白百』(http://www.yomiuri.co.jp/special/shiro/)というのを読売新聞のWEB版に連載しているんですけども。これは、締め切りがほしいから、そういう形をつくってもらったんですね。締め切りがないと書けないんですよ。白についての随筆を100篇書こうと思いたって、これは「ライフワークのようなものかな」と思っているのですが、自発的に締め切りは設定しにくいでしょ。
山崎
分かります、それは。
とにかく締め切りというのがあって、なんとか毎週締め切りにすべり込み、すべり込みしながら、とにかく毎週1本書くんですね。
山崎
けっこう大変ですよね。
タクシーの中で、ざーっと書いて、駅で電車に乗り換えて、ぱらぱらっと見直したりとかしながら。そうやって、一週間に一篇。書くというレイヤーを日常の中に、ごく薄く、何層か重ねているうちに、月曜日ぐらいになるとだいたいなんとなく出来上がってくるんですよね。火曜日が締め切りなんですけども、出来上がったやつをメールでポンと送って、1本上がりみたいな。
山崎
部活みたいですね。
そうそう。今、64本まで書いたので、あと36本なんですけど。
山崎
雑誌の『high fashion』かどこかで、原さんが石灰石の話をされていたことがあって。白の純度みたいな話で。僕、石灰石を買って、しばらく机の上に置いていたのを、今思い出しました。
あぁ、なるほど。僕は、白が好きというより「気になるな」と思っていたんで、それを掘り下げてみた。そうすると、わりとどこまでも掘れちゃうんですよ。きりがないんですね。きりがないから、きりなくいこうと思って。それもやっぱりひとつのね、なんというか、トレーニングみたいなものですね。
山崎
なるほど。
シャドウボクシングみたいなもので。白ばっかり考えているとね、白い方向の筋肉が鍛えられていくんですよ。

一対性を捉える、引きの目線。

山崎
時間もなくなってきたので、ちょっと個人的に聞きたいなと思っていたことを。僕が原さんに、思想的にすごく揺さぶられたのが、無印良品かなにかのトークセッションで、「世界地図を回して、文化の系譜がまるでパチンコ台のように」みたいなお話をされてらっしゃったんですよ。その頃、僕は普通にグラフィックのデザインしかしていなくて、「なんてレベルで物事を考えているんだろう」って、すごく感銘を受けたんですけね。ああいう思想と言うか、アイディアとか、想像力というか、そういうものってどうやって、世の中からつかみ取っているんですか?
世界地図の話はね、高野孟さんが書かれた『世界地図の読み方』という本に触発されました。ユーラシア大陸を90度回してパチンコ台に見立てると、日本は「受け皿」の位置にくるという話です。それは僕にとってはすごくショックなことだったので、実際自分でやってみて。パチンコの玉が実際に落ちるような図を描いてみたら、本当にその通りだなと思って。僕自身が発見した着想ではなく、そういう読み方を習ったので、そういう見方で歴史をもう1回読んでみようというね。やっぱり寄りの目と引きの目というのが必要なんじゃないでしょうか。
グローバルとローカルと言ってもこれは一対のことであって、対極のことではないんですね。文化と言うのはローカルな文化しかなくて、グローバルな文化なんてないんです。自分が生まれたところでいかに開花していけるかというのがローカリティの問題です。開花したローカルな文化を世界の文脈につなげていくことで、初めて世界が輝くわけですよね。インドも、イタリアも、中国も、混ぜこぜになってグレーになっちゃうと、これはおもしろくない。だけどローカルに留まって、「グローバルなんて嫌いだ」と言いながら、そこで意固地になってもしょうがなくて。生まれてきたローカルの素晴らしさを、なんとか世界につなげていくことに意味があるような気がする。そういう一対性というのは常にあるんじゃないでしょうか。デザインはどちらかというと寄りの目ですが、引きの目としてどこまで引けるかというのも大事なんじゃないかと思っていますけどね。
山崎
なるほど。ありがとうございます。残りもわずかということで、最後にリスナーの方にメッセージをお願いします。若いデザイナーにでもいいですし、聴いてくださっている方にでもけっこうなんですけども。
今、イタリアのミラノのトリエンナーレで、アンドレア・ブランジさんという方とふたりで、「NEO PREISTORIA -100 Verbi (新・先史時代-100の動詞)」というタイトルの展覧会をやっているんですよ。これは相当に引いた目で見た「人類の欲望の歴史」の展覧会です。このラジオでは語りきれないので、ミラノに行く機会があったら、ぜひ見てください。展覧会をつくるということは、本当に全身全霊でやるんです。これだけは、言葉を尽くすよりも、実物に触れていただくことで、何かが確実に伝わると思うので。
山崎
ぜひミラノにいく方は見てみてください。この時間は、デザイナーの原研哉さんをお迎えいたしました。本日はありがとうございました。
どうもありがとうございました。

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