銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン

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PROFILE

着物コンシェルジェ/伝統工芸REプロデューサー
木下 勝博

1971年生まれ、東京都出身。1~17歳までファッションモデルとして、CMや雑誌、各種広告媒体など多数出演。学生時代から大手PRエージェンシーや広告関係業務に従事。大学卒業後はITベンチャー数社で新規事業の立ち上げなどを経験。
2003年に友人が五代目を務める創業1897年博多織元・岡野の事業再構築に従事。当初は物流システムなどの導入や人事制度の整備など企業の基盤整備を行う。2005年に団塊Jr.世代をターゲットとした着物ブランド「awai」を 立ち上げ、直営店を六本木や博多に出店。伊勢丹新宿店、銀座三越、ユナイテッドアローズ、ベイクルーズなどに商品を供給する他、異業種との協業も話題となり、新時代の着物事業の成功事 例として多数のメディアに取り上げられる。
現在は老舗企業や百貨店を対象にコンサルティングや売場のプロデュース、着物ブランドや和プロダクトのプロデュース、和文化イベントの企画運営、講演などを行っている。著書に『はじめての男着物』(河出書房新社)がある。
http://kinoshitakimono.com/

RADIO REPORT

vol.102015.10.1619:00-20:00

木下勝博 × 山崎晴太郎

山崎
ソラトニワ銀座をお聞きの皆さん、こんばんは。アートディレクター、デザイナーの山崎晴太郎です。さて、なぜ今日は、僕がいつもよりシュッとした感じでしゃべっているかと言うと、実は今、着物を着ているからなんですね。というわけで、本日はゲストに着物コンシェルジュの方をお招きしています。2、3年前、僕がはじめて着物を仕立てる機会があったんですけれども、その時にいろいろとアドバイスをいただいた方です。では、お迎えいたしましょう。木下着物研究所代表、着物コンシェルジュ、伝統工芸Reプロデューサー、木下勝博さんです。よろしくお願いします。
木下
よろしくお願いします。
山崎
まず簡単に、僕のほうからご紹介させていただきますね。1971年、東京生まれということで、1歳から17歳まではファッショモデルをされて、CM、雑誌、各種広告などに多数出演をされていたということですね。その後、学生時代から大手PRエージェンシーや広告関係会社に勤務。大学卒業後は、ITベンチャー数社で新規事業の立ち上げを手掛けられ、2003年からご友人が五代目を務める、創業1897年の博多織元・岡野の事業再構築に従事。2005年に、着物ブランド「awai」を立ち上げて、直営店を六本木や博多に出店されたということです。伊勢丹や三越、ユナイテッドアローズ、ベイクルーズといった百貨店やブランドとのコラボレーションにより、着物事業の成功事例として多数のメディアに取り上げられております。現在は、老舗企業や百貨店を対象に、コンサルティングであったり、売り場のプロデュースや着物ブランド、和プロダクトのプロデュースなどをされています。

業界を変える、素人の視点。

山崎
早速ですが、経歴からちょっと変わっていますよね?
木下
そうですね。一年の360日ぐらいは着物生活なので、「何代目の若」みたいな感じで見られがちですけど、実は着物とは全く関係ない世界の出身なんです。
山崎
もともと着物であったり、伝統工芸に興味があった、というタイプではなかったんですか?
木下
正直、全くなかったですね。古い友人の縁で、博多織元に入社した時も、最初は本当に2、3年、会社としての基盤をつくるところだけを手伝って、それが終わったらまた別の仕事、というような気持ちでいたんですね。でも、それが逆によかったのかもしれません。着物業界というのは、消費者の手元に着物が来るまでにいろいろな工程があるので、本当の意味で「エンドユーザーがなにを欲しているのか?」ということが、実はあまり作り手側まで情報がいかないんです。そんな中で、たまたま私みたいな、全くのど素人が新規事業をやることになって、それがお客様、消費者の感覚に近かった、というのが、よかった点のひとつなのかなとは思いますけどね。
山崎
着物業界にすごくニュートラルな視点で入れたということですよね。消費者の視点と言うと、僕は木下さんに着物を見立ててもらった時のことをすごく覚えていて…。あれはたぶん、3年くらい前ですか?「awai」の六本木店で着物を買わせていただきました。
木下
そうですね。あの時は確か、山崎さんが上海に行かれるということで。海外の人の前に出る機会に、「せっかくだから着物を着たい」というお話でしたよね?海外に行かれるということもそうですし、今後着る機会を考えると、なるべく今までの洋服の延長線上に着られるようなものから入ったほうが、着物を着ていただく機会は増えるんじゃないかな、という考えで、スーツ地のものをご提案しましたね。
山崎
あの時に、目の色を見ていただいたのも、すごく印象的でしたね。僕の目は、少し茶色いんですが、それを見て、生地の色がちょっと茶色っぽくも見えるような着物を選んでいただいて…。あれは、すごく新鮮な体験でしたね。
木下
ご提案する時に、我々が一番気にする部分は、まずその方に似合うかどうか?その方が魅力的に映るかどうか?私のように、日常的に着物を着ている場合はちょっと別かもしれませんが、皆さんにとってはあくまで非日常な体験なので、せっかく非日常で着る着物が、「なんか似合わないよね」って言われてしまったら意味がないと思うんです。洋服であれば、仮にその方の雰囲気にあまり似合わなくても、全体のバランスでまだなんとなく合わせられるんですが、着物は、「似合う」「似合わない」というのが、はっきりと出てきてしまうんですよね。
山崎
木下さんが日常的に着物を着るようになったのは、「awai」をやりはじめてからですか?
木下
そうですね。会社が博多織元という福岡の会社だったので、まず福岡にショップを出したんですよ。当時、私はその会社に入って3年目ぐらいだったんですが、それまではインフラ周りのことをやっていたので、商品をつくることや売ることとは関係のない仕事をしていたんですね。言ってみれば、限りなく素人に近い感じだったんです。そういう人間が着物ブランドをプロデュースすることになった時に、「まず自分が着てみないと、よくわからないな」と。その当時は、若い人が行くような着物屋さんというのは、全国的に見てもあまりなくて、少し入りにくい呉服屋さんばかりで…。そこに行くとですね、何十万円とか、時には何百万円というような着物を勧められて、「これはやっぱり怖いぞ」と。そういう中でも、実はコットンだとか、ウールだとか、他の素材もあるということに気づいて、そういう素材のものから着はじめたんですね。
山崎
そうなんですね。
木下
それまでは、非常に高価で、メンテナンスも大変で、「いつ着ていいかわからない難しいもの」という印象もあったんです。でも、コットンの着物は浴衣の延長線上みたいなものなので、食事に行って汚れても家で洗濯できますし、「意外と普通だな」というのが最初の印象でしたね。
山崎
同じように、入り口で迷われる方って、きっといっぱいいらっしゃると思うんですが、「こういう時に着てくれたら」という、おすすめの着物への入り方みたいなものはありますか?
木下
そうですね。おもしろいことに、男性と女性でその入り方が結構違うんですね。やっぱり女性は、新しい着物をつくったら見てほしくなって、「着物を着てお出かけしたい」と言うんですよ。ですから、女性のお客様にはまず「着る場所や着るシチュエーションをつくりましょう」と。それはお食事でもいいですし、お友達の結婚式でもいいですし。そして逆に、男性の方の声で多いのが、「ちょっと普段着的に着たい」「休日のリラックス着として、まず家で着てみたい」と。
山崎
ああ、わかる気がしますね。
木下
慣れてきたら、ちょっと近所のお蕎麦屋ぐらいに行って、さらに慣れてきたら、電車に乗って出かけたいと。「見られたくない」という意味ではないと思うんですが、「ある程度、自分に馴染ませたい」とい感覚が、男性は強いようです。ですから、男性のお客様にはまず、その方のライフスタイルのできるだけ近いところに取り入れられるものをご提案することが多いですね。
山崎
実は、僕も着物をつくってから、まだ数えるほどしか着られていないんですね。やっぱり、正月とか、近所の神社に行く時とか、そういう感じで使っています。僕、歌舞伎と落語がすごく好きなので、そういうところに着ていきたいな、とは思っているんですけど…。
木下
観劇はいい機会ですよね。特に、落語も歌舞伎も本来は大衆演劇なので。よく「歌舞伎座に行く時には、すごくいい着物を着て行かなくちゃいけないんじゃないか?」って、皆さん思うみたいですけど、松竹さんは特にドレスコードに関してはなにもおっしゃっていないんですよね。だから、「こういう着物でなくてはいけない」というのはない。もっと気軽に着て出かけていただきたいな、と思いますね。

伝統を扱いながら、時代の最先端を進む感覚。

山崎
今までのお話って、リアルクローズとしての着物ということだと思うんですが、そうは言っても、着物って日本文化のすごく中枢にあると言うか、伝統的な部分も当然外すわけにはいかないと思うんですね。そのバランスって、木下さんの中でどのように捉えられていますか?
木下
時々、「着物のファッションショーとかやらないんですか?」なんて聞かれたりもするんですが、「awai」というブランドでやってきたものは、正直、あまりショー映えしないものなんですね。なぜかと言うと、街に馴染みやすい、洋服の方と一緒にいる時に馴染みやすい感じを意識してつくっているので、そんなに派手ではないんです。だから、たまにテレビCMなんかの衣装として使われる時にご提案するものというのは、ショー映えするようなビジュアルのものをコーディネートしますので、ちょっとそのあたりの感覚は別物になってきますよね。
山崎
なるほど、別腹みたいな感じがあるんですね。
木下
そうですね。ですから、お客様がタレントさんであったりとか、着るシチュエーションとして、あくまで人前に出ることが前提であれば、華やかなものをお勧めしますし、もうちょっと日常的に着られるということであれば、洋服に近い感覚のものをご提案します。そこは本当にお客様次第です。たとえば、プロデュースをお手伝いする場合でしたら、そのブランドがどういう層をターゲットにするかによって、変えていくという感じですよね。
山崎
そのへんのお話も、なんだか着物業界の人とお話している感じじゃないですよね。その中に、マーケティングの要素もあるし、多分に戦略的な部分もあるし…。それは、木下さんが独立までに通ってきた道が活きているんですよね?
木下
そうですね。商売って結局、お客様がいて、お金をお支払いいただいて、はじめて成り立つものなので…。近年思うのは、これからは、人口がどんどん減っていくわけじゃないですか?さまざまなマーケットが小さくなっていくと考えると、そのマーケットがどのように変わっていくかを捉えられないと、どうやって生き残っていったらいいか、わからないと思うんですよね。だから、実は、「ある意味、世の中の最先端をやってきたな」っていう感じがしているんです。その最先端というのは、着物業界の最先端という意味ではなくて、少子高齢化で、これから日本という国自体の構造が変わっていく最先端ですね。
山崎
それは、すごくおもしろい感覚ですよね。

革新のヒントは、現場にある。

山崎
最近、日本文化というものが、改めて見直されてきている空気があると思うのですが、そういう中で、なにか実感として変わってきたことはありますか?
木下
たとえば、「awai」というブランドも2008年4月に、福岡から六本木にショップを持ってきたのですが、2008年9月にリーマンショックが起きて、その後に震災なんかもあって、世の中が厳しくなってきていると同時に、逆に皆さんがひとつひとつ、お買い物だとかライフスタイルに、きちっと向き合うようになってきたな、ってすごく思うんですよね。世の中的に「トレンドだからちょっとやってみようか」「買ってみようか」と言うよりは、「自分って、なにを求めているんだ?」みたいなことと、正面から向き合うようになってきたことと、和のものが戻ってきているのは、密接な関係があると思いますね。おそらく晴太郎さんのお仕事でも、伝統的な企業さんのお仕事が増えているんじゃないですか?
山崎
たしかに多いですね。でもそんなお客様は、業界の常識みたいなものに囚われてしまっているケースが多い印象があります。自分たちで言うのもあれですが、「僕らに出会っていなかったら、この技術はなくなっていたんじゃないか?」なんて、そういう危機感を感じることは多々ありますね。
木下
今日晴太郎さんにお召しいただいているスーツ地の着物というのは、厳密に言うと、伝統的工芸品ではないんですね。洋服用の生地なので。それをつくっているのは、愛知県の尾州の毛織物のウールの機屋さんなんですが、実際にその工房を訪ねると、他のいわゆる着物や帯を織っているところとあまり変わらないんですよ。要するに、伝統的工芸品っていう表現は使っていなくても、伝統工芸または伝統的な技術って、いろいろな日本のモノづくりの中に、実は沢山あるんだと思うんですね。そこをもう一回捉えなおして、現代の文脈の中で、どんなふうに提案していくかというのが、どこの業界でも必要とされているんだと思うんですね。
山崎
そういうものって、世の中に隠れているケースが多いじゃないですか?そういう技術や人と、どのように出会っていくんですか?
木下
それはですね、一言で言えば、ご縁なんですね。ご縁があった時に、そのご縁を辿っていくという感じでしょうか。たとえば、私自身がいろいろプロデュースをする時は、それがプロダクトであれ、着物であれ、必ず産地まで行って、つくっている現場を見せてもらうんですよ。なぜかと言うと、博多織というひとつの織物の技法であっても、実際に織元に行くと、それぞれに個性があって、ずいぶん違うんですね。ですから、つくっている工場、工房を実際に訪ねて、どのような空間で、どんなことを考えてやっているか、っていうのが見えてくると、「この人はこういうことが得意なんだろうな」とか、「この人の強みってこれだな」ってわかってくる。そこを掘り下げていかないと、いいものってつくれないですし、プロデュースができないんですよね。そうしていく中で、また人が人をつないでくるれような感じですね。
山崎
そう聞くと、ご縁と言いつつも、すごく積極的に広げていっている感じもありますよね?
木下
それは、意図的にしているというよりは、「そうしないとうまくいかない」みたいな感じかもしれませんけどね。

伝統工芸というバトンを、つないでいくために。

山崎
木下さんは、最近、木下着物研究所という形で独立をされましたが、その理由はなんだったんですか?
木下
ずっと「いずれは独立を」ということを予定していたので、それがずるずると延びてしまって、遅れたっていう感じもあるのですが…。ここ十数年、ひとつの会社の中で新しいマーケットをつくるブランド事業というのをやってきて、そこでの経験をもう少し広げていきたいな、と。おかげさまで「awai」というブランドは、この厳しい中、震災の年もリーマンショック以降含めて、ずっと右肩上がりでやってくることができました。ただ、着物マーケットって、実はそんなに大きくはないので、「いろいろな人の声に応えていこう」と思うと、あれもこれもになっちゃって、やっぱり…。
山崎
ぼけてきてしまう?
木下
ぼけてくるんですよね。私自身が想像していたのは、「もっと競合店、競合ブランドが出てくるんじゃないか」と思っていたんですよ。結果、出てはくるんですけど、長く続かなかったり、意外と認知されていかなかったりするので、「これはマーケット自体が大きくなっていかないと変わらないぞ」と。つまり、着る人をもっと増やさないと、全国の産地も変わっていかない。
山崎
それは、本当にその通りですね。
木下
また、十数年やってきた中で、実は着物業界に限らず、伝統工芸だとか伝統文化と言われるようなところに、共通した課題があると感じたので、今までが経験を積んでくる期間だとすれば、これからはやはり社会に返していかないといけないような気がしていますね。
山崎
では、ここからは、着物を中心にやるけれども、伝統工芸全般にフィルターを少し広げて活動をしていこうということですか?
木下
そうですね。着物というものが入り口になって、伝統文化や伝統工芸に興味を持ってもらってもいいですし、逆に、器や小物などから着物に興味を持ってもらってもいいんです。それこそ、水墨画をはじめた人が、「水墨画を描く時に、着物を着たら格好いいな」とか「レセプションの時に、着物を着ていったらいいよね」と思ってもらうような…。そういう間口を広げていかないと、着物を着る習慣というのは広がらないのかな、と思いますね。
山崎
その、きっかけづくりをしていこうということですね。それは「伝統工芸を守らねばならぬ」みたいな感覚もあるんですか?
木下
「守らなくちゃいけない」というのは、実はあんまり好きじゃないんですね。伝統的工芸品という名前がつくと、どうしても「その技法を維持していこう」という感じになる。でも、たとえば博多織というのは、約800年前からはじまったと言われているんですが、その間にも、実はいろいろと変化しているんですよ。今の博多織は帯が中心なんですが、800年前、つまり鎌倉時代には着物としてはじまっているんですね。
山崎
ほう。そうなんですか。
木下
それが江戸時代になると、男性の中でも上級武士が締める帯として珍重され、明治以降、特に昭和になってからは、女性の帯が中心になってきた。そうやって、時代時代によって変化してきているんですね。それが、伝統工芸品という名前がついた途端に、進化が止まってしまうという要素も、実はあると思うんですね。だから、ある程度認知していただいて、大事にしていかなければいけないと同時に、その枠を超えていかなくちゃいけないということもあるので、そこが一番の難しさかなと思います。
山崎
そうすると、感覚としては「先の時代にパスをつないでいこう」という感覚ですか?
木下
そうですね。一旦なくなってしまうと復活させるのは大変なので、どういう形であれ、伝統工芸であったり、技術というものの強みを引き出して、それを次に生かしていく、と。そのためには、ニーズがなければ残っていけないですし、そのニーズを引き出しつつ、産地の方にマッチングさせていくということですよね。
山崎
ちなみに、マーケットは日本を中心に考えられていますか?今は、海外にも、いろいろな日本の伝統工芸に興味を持たれている方も多いと思うんですが。
木下
それは、二段階のステップあると思っています。伝統工芸の世界って家業が多いので、大手企業のように、どんどん海外に出ていくのが難しいんですね。だから、第一段階はまず、国内を強化しないといけない。その時にキーワードがあるとすると、やっぱり団塊ジュニアマーケットだと思うんです。その世代は人口のボリュームがあるので、ここで商売にならない限りは、他を狙っても無理だろう、と。ただ、その先の国内のマーケットというのはやはり先細っているので、第二段段階として、海外を向いていく必要があると思います。
山崎
そうすると、その先にまたかなり壮大な道があるということですね。それでは最後に、リスナーの方にメッセージをお願いします。
木下
まさに今、お話ししたように、入り口は着物でも水墨画でもお茶でもなんでもいいと思うんですが、もっと和のものを皆さんの生活の中に上手に取り入れていただきたいな、と。ただ、なかなかきっかけがないという方もいらっしゃると思うので、この松屋銀座さんもそうですし、いろいろなところで新しい和が、今の時代どんどん広がっていますから、そういうものにたくさん出会っていただければうれしいな、と思います。
山崎
ありがとうございます。この時間は、木下着物研究所代表、着物コンシェルジュ、伝統工芸リプロデューサー、木下勝博さんをお迎えいたしました。
木下
ありがとうございました。
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