銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン

隔週水曜19:00-20:00ON AIR
  • RADIO REPORTRADIO REPORT
PROFILE

『+81』クリエイティブディレクター
山下 悟

青山学院大学文学部史学科卒。1990年、音楽のデザインをするために独学で独立。数多くのミリオンセラーCDのプロモーション・デザインを手がけながら、1994年ソニープレステーションの立ち上げ企画、雑誌『+81』を97年創刊、他にも映画、ファッションなどの広告デザインを数多く手がける。約20年間の『+81』発行により2000名を越える取材を通し世界のあらゆる分野のクリエイターに繋がっている。関連イベントとしての「Tokyo Graphic passport」を2009年より毎年開催しており、スミソニアン美術館でのシンポジウム、ポンピドー美術館との共催企画展示、ニューヨーク大学、SVA大学とのイベント共同開催、インド、ブラジル、タイなど世界各地にわたる。2013年経済産業省の日本クリエイター支援事業として+81galleryを米国NYに開設する。現在、国内デザイン事業、出版事業に加え、米国法人、マレーシア法人などを含め5社の会社経営をする。個人として、2001年から10年間、東洋大学経営学部講師を勤める。
http://www.plus81.com/
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RADIO REPORT

vol.232016.05.2519:00-20:00

山下 悟× 山﨑 晴太郎

山崎
松屋銀座屋上、ソラトニワ銀座からお送りしております、銀座四次元ポケットプレゼンツ山崎晴太郎の銀座トークサロン。アートディレクター、デザイナーの山崎晴太郎です。それでは、ここでゲストの方をお迎えいたしましょう。『+81』クリエイティブディレクター山下悟さんです。こんにちは。
山下
こんにちは、山下です。よろしくお願いします。
山崎
よろしくお願いします。まずは簡単にご紹介をさせていただきます。『+81』クリエイティブディレクターである山下悟さんは、青山学院大学文学部史学科を卒業後、1990年に音楽のデザインをするために独学で独立。数多くのミリオンセラーCDのプロモーションやデザインを手掛けられました。97年に雑誌『+81』を創刊。約20年間での2000名を超える取材を通して、世界中のあらゆる分野のクリエイターとつながっていらっしゃいます。2009年からは『+81』
の関連イベントとして「Tokyo Graphic Passport」を毎年開催。また2013年、経産省の日本クリエイター支援事業として「+81Gallery」をニューヨークに開設されたということで、国内デザイン事業、出版事業に加え、米国法人、マレーシア法人なども含め5つの会社を経営していらっしゃいます。個人としては2001年から10年間、東洋大学経営学部の講師も勤めていらっしゃいます。

つくっている自分たちが、一番楽しい。

山崎
山下さんと言ったら、やっぱり『+81』ですよね。僕も大好きな雑誌です。
山下
そうですね、長いですから。あっという間に20年というところですね。
山崎
一応、ご存知ない方のために、『+81』をちょっとご紹介いただいてもいいですか?
山下
20年前は、クリエイターという言葉が、あまり一般的ではなかったんですね。たまに海外に行って「クリエイターマガジンです」と言うと、「クリエイターというのは、イエス・キリストだけだ」と言われて怒られたりして。
山崎
なるほど。
山下
20年前、1997年頃というのがインターネットなどのデジタル革命が起こる直前で。その頃は、建築家とかデザイナーとかファッションとか写真家とか、いろいろと分かれていたんですけど、それがデジタルの時代になると、写真家でありデザイナーでもあるとか、レイヤーをまたぐ人がいくらでも出てくると。そうすると、「職業は○○です」みたいなものがなくなってきそうだなと。
山崎
そうですね。
山下
それで「建築家とかファッションデザイナーではなく、トータル的なかたちでクリエイターという言葉で括ったマガジンをつくろう」ということで生まれたのが『+81』です。基本的にインタビューマガジンというかたちで、本人の生の声を映していくスタイルですね。自分は大学時代に史学科だったので、歴史の先生に「資料には一次資料と二次資料がある」と言われていて。
山崎
解釈が入っていないものと、入っているものですね。
山下
そう。「生のインタビューをするのが一次資料で、歴史的資料としては一番大事なんだぞ」ということを叩き込まれたのが残っていまして。
山崎
なるほど。
山下
直接本人に聞いて返ってきた答えは、きちんとした一次資料として発表ができる、と。人が書いたものを読んで、類推して書いたりすると、これあくまでも二次資料になってしまうので、資料的な価値が落ちてしまう。だから一次資料的な価値を大事にして、自分たちが興味のある、世界中の話題の人たちをインタビューしていくというマガジンになっています。特徴的な部分としては、日本語と英語の両方で表記されていることですね。この20年間で日英併記のマガジンが何冊か出てきましたけど、見ていると皆さん途中で諦めてしまって…。やっぱり労力が2倍どころか5倍くらいかかってしまうので。うちも、何度も諦めかけて「もう次号でやめる、やめる」と言いながら20年経っていた、というのが正直なところです。
山崎
20年というのは、やっぱり凄いですよね。僕なんかは今日は本当にワクワクしているんですけど。僕もまさにグラフィックから入って、プロダクトデザインをやって、今は建築までやっていて…。そのデザインというものの高い山を、最初に見せてくれたのが『+81』でしたからね。「こんなにいい景色があるんだよ」というのを、『+81』が見せてくれて。学生時代はバックナンバーを見つける度に買って、とても影響を受けましたね。
山下
面白いもので、制作している自分たちはそれほど気付かないんですけど、インタビューをして作品を見ると「おっ、凄いな」と思うんですよね。超越したデザインがいっぱい出てくるので。今は有名になったグラフィックデザイナーの稲葉英樹くんが若い時に、「これが基準なんだぞ」とか言って『+81』を見せたら、「ここまでできない、デザイナーとしてはだめなんだ」なんて騙されてしまって。
山崎
ハードルが高いですね(笑)。
山下
でも逆に言うと、そのいいものだけを見ておくと、割と普通にそれを取り入れられたり、そのレベルになっていった、というのもあって。これを言っていいのかどうか分からないのですが、「チラシの仕事を3年やってしまうと、グラフィックの世界ではなかなか戻るのが難しいぞ」と。逆に、一番てっぺんに行ってしまった人をそこから落とすのはなかなか難しい。だから、その一番上から入れたのは、自分たちにとっても良かったのかなと思います。
山崎
確かにそうですね。『+81』にはインタビュー記事が多く載っていますけど、デザイナーの方はそのインタビューを聞いて、そこからグラフィックのインスピレーションを受けているんですか?
山下
ンタビューも読むのですが、やはり一番刺激になるのはビジュアルそのもので。スタジオの雰囲気、それから作品などを見てくると、やっぱりインスパイアされるものが大きいですよね。
山崎
なるほど。
山下
自分たちの環境と全く違ったところで。しかも1997〜2000年の初頭ぐらいまでは音楽CDのジャケットとかレコードアルバムのデザインをやっていたので、世界的な大ヒットスターのジャケットを、こういう人たちがつくっていたんだ、こういう考え方でつくられていたんだというのが、毎回刺激的でしたね。
山崎
そうですよね。おそらく僕だけでなく、僕の世代の人って『+81』に刺激を受けていた人がとても多いと思うんですけど、言われることはありませんか?
山下
たまに言われますけど、でも僕たちとしては、つくっている自分たちのほうが楽しかったんですよね。誰よりも、読者よりも先に、その資料が見られて。インタビューが聞けて、書き起こされて出てくるというのは、何ものにも代え難いよろこびでしたね。
山崎
確かにそうですね。
山下
その後インタビューした神様のような人たちと、一緒に飲んだり食べたりできたるのが雑誌の魅力だったのかなと。
山崎
いいですね。もともと山下さんの中で、世界というのは視野にあったんですか?
山下
そうですね。音楽関係の仕事を長くやっていると、思った以上に仕事がいっぱいきたんです。最初は1人で始めたのが、気が付いたらもう20人とか25人ぐらいになってしまって。ただ、受注産業の仕事って皆さんわかるように、クライアントが「右向け」と言うと、右を向くんですけど。最初から90度は絶対に向かないんですけど、「もうちょっと」「もうちょっと」って向けられて、仕上がっていくと全然違うものになってきて、フラストレーションが溜まってきていて…。そこで海外に逃げていくと、ちょうど1994〜95年が日本のカルチャーブームだったんですね。ヨーロッパでも日本の雑誌がどこの書店にもあったんですけど、みんな読めない。「知りたいんだけど読めないんだ」と言ってました。
山崎
興味はすごくあるのに。
山下
そう。それで、「なんで英語で書かないんだ、日本人は」というふうに。それがきっかけで、やっぱり世界のスタンダードは英語なんだなと。ただ、日本語も欲しいなということで、じゃあ日本語と英語のインタビューマガジンにしようというかたちでスタートしたんですね。
山崎
自分たちでやるからこそ、そういう決断ができますよね。だって純粋にページが倍になるじゃないですか。
山下
そうなんですよ。最近はもう皆さん慣れて言われなくなったんですけど、「文字が小さい」とはよく言われましたね。写真も入れて、キャプションも入れて、コラムも入れてってやっていくと物理的に文字を小さくするしかなったので、最初は「読めない」って相当怒られました。
山崎
本当ですか?でも、創刊時の日本には、かなり刺激的だったんじゃないですか?
山下
お陰様で。雑誌をつくったことも、出したこともなかったのに、どういうわけかわからないんですけど、初版を1万部刷って、出版社のほうから「よく売れていますよ、凄いですよ」って言われて。3日目ぐらいで50%以上なくなって、1週間が終わる頃には、ほぼ完売になって。「本当にこんなに売れるんだ、いい商売だな」と思っていましたけどね。
山崎
海外と日本では、どれくらいの比率だったんですか?
山下
当初は海外は少なかったですね。でも主要店舗だけ押さえていって、20%ぐらいだったかな。それが徐々に口コミで広がっていったというかたちですね。
山崎
なるほど。デザイン事務所をやられていて、でもクライアントワークとは別に自分たち発信のメディアを持たれたわけですけど。正直なところ、どのくらい続くと思っていましたか?
山下
3冊かな。出版業界では3冊限界説ってあるんですよね。お金が入ってこないので。
山崎
回らなくなっちゃうからということですね。
山下
そう。回らなくなってきて。あとやる気がなくなってくるのか、売れなくなってくるのか、返品が出てくると次号が出せないというかたちで。「とりあえず3冊は超えたいね」っていう話はしながらつくっていましたけどね。ただ、こう言ってしまうとスタッフに怒られてしまうんですけど、経営の仕事の息抜きみたいな感じで、純粋に楽しめる仕事というふうには捉えていますね。
山崎
そういうのがあるのはうらやましいですね。
山下
でしょ? ただ怖いんですよね。裸の王様じゃないですけど、デザインセンス、知性、言葉の遣い方、英語が間違っていないかとか、すべてを曝け出しているので。
山崎
試される感じですね。このラジオもフリーペーパーにまとめているんですけど、僕は今ちょっと見られないですね。
山下
私らも、できて1年は開かないですね。他人のふりしています(笑)。

いかにして、好きなことを続けられる仕組みをつくるか。

山崎
『+81』の後、『+81 Voyage』ですとか『Tokyo Visualist』とか、いろいろと派生してきていますが、それは何かきっかけがあったんですか?
山下
『+81 Voyage』の場合は、単純に次世代が育ってきたので、そろそろ違うことをやりたいなというのと、ちょうど大学で教えていまして、私のほうが生徒よりも夏休み春休みが楽しみで…。その1カ月か2カ月の間に「絶対、旅行行くぞ」と。大使館に駆け込んで予算を引きずり出してもらって。1カ月間、北欧を1周回ったり、アフリカに行ったり、スペインを周ったり、そういうかたちで、
行ってみたかったところに全部行こうと。
山崎
へぇ、いいですね、それ。では、「Tokyo Graphic Passport」のようなイベントはどういうきっかけで生まれたんですか?
山下
35号の時に一度区切りをつけて編集長を降りたんですね。1年間、次に何をやりたいのかというのを探そうと。世界中のいろいろなカンファレンスに呼ばれて、南アフリカだとかオランダだとかパリとかへ行ってやっている間に、カンファレンスってなかなか面白いなっていう発見があって。ただ、その時に日本でそういうカンファレンスっていうのがまだなかったので、「カンファレンスという大きなイベントをプロジェクトにしたら面白いな」と思ってスタートしたんですね。
山崎
そういうことだったんですね。じゃあ、ご自身の興味だったり、刺激を受けたことからフィードバックされて新しいプロジェクトがはじまることが多いんですね。
山下
そうですね。基本好きなことしかしていないので。いかに好きなことを続けられるように組み立てていくかという、この1点だけなんですね。
山崎
なるほど。それって、外れる時もあるんですか?基本的に、やりたいことが全てかたちになっているように見えますけど。
山下
いや、でも外れてますよ。例えばギャラリーなどは最初にスタートしたのは2003年からなんで。懲りずに閉めてまた移転して、閉めて移転してを繰り返して。
山崎
そうなんですね。
山下
ただずっとやり続けているかな。ニューヨークのギャラリーも3カ月くらい閉めたり、「じゃあ、またそろそろはじめるか」っていうかたちで再開したりしたので。
山崎
そうだったんですか。それは、なにか諦めないことが肝心みたいな思いがあるんですか?
山下
好きなんでしょうね。「どうせまたやるんだろうな」と。だけど今の体力とか時間の配分だったらここはちょっと休憩しておいて、またやれるチャンスはいつでもあるので、その時にまたリニューアルしてやろうという感じで。だからプロジェクトは全部長いですね。
山崎
そういう「なんか好き」みたいな気持ちに、僕らは感化され続けてきたのかもしれないですね。
山下
やっぱりつくっている側が楽しかったり面白かったり好きでないと。それって、結構伝わりますよね。
山崎
クライアントワークでもそうですものね。
山下
ただ、ちょっとへそ曲がりなのが、今の旬なものは外すような感じで、他社のものとはぶつからないようにしようと。
山崎
独自性みたいなものは保ちつつ、というのは意識されてるということですかね?
山下
そうですね。切り口次第で面白いことがいっぱいあると思いますので。次の号などはまったく新たな東京ガイドマップなので。皆さんが『「+81」なのかな?』って思われるぐらいの誌面構成にはなると思います。
山崎
楽しみですね。日本の国際番号である「+81」をそのままタイトルにしてしまうというのも突き抜けていますけど、おそらくいろいろなクリエイターが刺激を受けて、参考にしていると思うのですが。そのトーン&マナーというか、レギュレーションとまでは言いませんけど、なにかつくりかたの作法みたいなものはあるんですか?
山下
トーン&マナーで一番大事なのは、やはりインタビューイの作品をリスペクトするということで。自分たちが撮った写真については加工したり、いじったりはするのですが、作品については一切いじらない。きれいに見せていく、というかたちはマナーとして守っています。書体についてはそのイメージに合ったものを使っていく、というところぐらいですかね。
山崎
なるほど。
山下
あとは、初稿のデザインから最終仕上がって出てくるまでに、いろいろな過程を経ながら不思議と最後にはデザインが同じような雰囲気になってくるという感じですかね。
山崎
何名ぐらいでつくられているんですか?
山下
今スタッフは、私以外だと1.5人ぐらいと、あと外部スタッフで、『+81』を卒業した編集員が3カ月に一度なので、その1カ月の間はまた集まって協力してくれます。なので、トータルで5〜6名ですかね。
山崎
『+81』が20周年ということで、2016年9月から創刊20周年記念号というものが1年を通してはじまるということですけど、その展望みたいなものはありますか?人間で言えば、成人式みたいなものだと思うんですけど。
山下
今月、tomatoのジョン・ワーウィッカーの作品集と、清川あさみさんの作品集を、単行本として発行したんですね。この単行本がまた面白くて。じゃあ『+81』も一挙に単行本化しようかと。普通の雑誌にプラスαして、20年分の切り口を変えた単行本というかたちを企画してその単行本の数だけで20冊ぐらいになるねっていう話に、今なっていますね。
山崎
なるほど。今までのものをもう一度再構築して、別の軸で刺し直す。面白いですね。今の時代の視点ですもんね。
山下
そうですね。逆に言うと写真家の変遷だとか、グラフィックデザイナーの変遷だとか、ファッションデザイナーの変遷とかを、20年分ポンと出せるだろうと。そのジャンルごとすべて編集し直してみようかと。
山崎
そういう企画って、どういうときに思い付くんですか?
山下
いや、もうなんでしょう。ドラえもんじゃないですけど、「あったらいいな」とか、「何ができるかな」とか、「何をやったら自分にとって楽しめるかな」というのがスタートですよね。最初からビジネスにするというように考えるのではなく、「あったらいいな」を考えて、どうやって採算を取るように持っていくかを後から考えます。経営としては、それができればOKかなという。

苦労は忘れる。楽しいことは忘れない。

山崎
お話を聞いていると、人生を最強に楽しんでいるなという感じで、ものをつくる人間としても、経営者としても学びたいことがたくさんあって。その生き方について聞いていきたいと思うんですが、独立されたのは30歳の時ですか?
山下
そうですね。会社に勤めていて、東京生まれ東京育ちが大阪で仕事を8年ぐらいやって、
30歳になった時に転勤になって。初めて上司というものが出てきた瞬間に、「あぁ、もう無理だな」と思って。
山崎
それで辞めて独立されたんですか?
山下
そうですね。大阪で広告の仕事をやっていて、どうしても最終決定は全部東京の本社に行かないといけない。それで、東京に出たら、やっぱりもっと面白い仕事ができるんじゃないのかなとは思ってましたね。
山崎
なんで大阪に行かれたんですか?
山下
いや、東京の会社に就職したんですけども。「転勤するか?」と言われて。「いや、するもしないも会社が決めるもんじゃないかな」って、純粋だったので。
山崎
そうなんですね。30歳で独立をされて、最初は音楽系のデザインをやられていたんですよね?
山下
たまたまその前の会社が音楽系のプロモーションの素材などをやっていたので。それに派生してちょっと伸ばしていくと、いろいろな仕事ができるなということで。やっていると面白くて。やっていくうちにいろいろと仕事が増えてきたというかたちですかね。
山崎
ソニーのプレイステーションの立ち上げ企画にも携わられたと聞いたんですが、どんなことをやっていたんですか?
山下
もともとソニーの仕事をずいぶんやっていて。ソニーミュージックと本体との合弁会社だったんですね。これは、ソニーコンピューターの人もほとんど知らないと思うんだけど、さくら準備室というのができて、そこに呼ばれて。「なにをつくるんですか?」って聞いたら、「ゲーム」って言われて。
山崎
「えっ、ソニーが?」ってなりますよね。
山下
そう。「一回、撤退したじゃない!?」という。それからずっといろいろな相談に入っていて、結局企画会議の20人の中の、ソニーコンピューターの会社の中に、1人ぽつんと外部の人間が入っていたという感じで。
山崎
へぇ、不思議な感じですね。ちなみに、独立に関しては、昔からどこかで「独立をしよう」とか「経営者になろう」というのはあったんですか?
山下
そうですね。父親が建設関係の自営業をやっていたので、「大企業に入るか公務員になれないのならば、自分でやれ」と言われてたので。自分でやるのが普通かなという感じには思っていましたね。
山崎
30歳って、思っていたよりも早かったですか?
山下
いや、思っていたより遅かったですね。できれば27〜8歳が理想だったんですけどね。ただその頃、結婚して子どももできてて、ちょっと身動きができなくなって。30歳で独立する前に東京に戻ってきて、半年で辞めたんですけど。マイホームをローンで買ってしまって。2人目の子どももお腹にいて。
山崎
すごいタイミングですね。
山下
前に勤めていた会社の社長にも、「お前、本当にやっていけるのか」と言われて。ただその頃は結構自信はあったんですよね。働いている8年間の中で、「たぶんやれる」という自信を植え付けることができたのが良かったのかなと思いますけど。
山崎
なるほど。最初から思い通りにいきましたか?
山下
そうですね。立ち上げの苦労は2カ月ぐらいかな。周りから怒られたんですよ。最初に「立ち上げました」って言って、2週間後にうちの父が病気でそんなに長くないということで、家族とハワイに行こうということになって。「会社を1週間休んでハワイに行くぞ」と。
山崎
そう。「お前、仕事をなめてんのか」って周りから言われながら。「いや、でも仕事と家族だったら家族を大事にしないとな」というところで。
山崎
すごいですね。山下さんが独立された頃って、今ほどワークライフバランスみたいな言葉もなかったと思うんですよ。そんな中で、今に通じる人間の本質みたいなものが判断軸にありますよね。
山下
基本的に不器用なんですよ。そんなにもの覚えもいいほうではないので、人の3倍やってちょうど人並みかなというところなんで。だから最初の8年間で自信をつけたというのも、だいたい1年間に15日ぐらいしか休まないで、ずっときていたんで。それでやっていければなんとかなるんだろうな、というところでしたかね。
山崎
今までの30年間で苦労したことってなんでしたか?
山下
いや、苦労って通り過ぎるともう覚えてないんですよね。楽しいことは覚えているんですけど。辛いことはあんまり覚えないのかなという。
山崎
逆に一番楽しかったなって、今振り返って思うことはなんでしょう?
山下
なんでしょうね。充実感で言えば、やっぱりパリのポンピドゥー・センターでイベントを日本人としてはじめて1カ月間やらしてもらったことですかね。場所も400坪ぐらいの大きいスペースを借りて、日本のグラフィックの先生たちに全部協力してもらってやったというのは、ぶっ倒れるくらいの達成感はありましたね。
山崎
準備も大変だったでしょうね、それは。
山下
1カ月半アパートを借りてやりましたよ。
山崎
それもベースは、自分のやりたいという思いから全部がはじまっているわけですよね?
山下
そうですね。楽しいですよ。朝起きて、アパルトマンからポンピドゥーまで歩いて出勤していくという、パリ生活。やっていることは一緒なんですけどね。
山崎
今、パリの話が出ましたけど、今現在は拠点は東京ですか?
山下
ニューヨークですかね。あとマレーシアが、もうすぐ家と言うかマンションが出来上がるので、そこに入っていくという感じになると思います。
山崎
なるほど。それぞれどういう感じで回られているんですか?
山下
ギャラリーの仕事は、展示によって向こうに行くようなかたちになっていくと思うんですが、あんまりブログもやらないし、仕事によっていつどこにいるかというのが分からないようにしているので。
山崎
今、ご自身の会社が5つある中で、組織体系というか管理の方法というのはどうされているんですか?
山下
経営って非常に単純だと思っていて。人とあとは、BS・PLが見えるかっていう、この2つがきちんとできてれば回るものだと思っています。資金の流れがきちんと自分たちで把握できれば。特に今これだけインターネットが普及すると、どこにいようが、極端に言えば南米だろうが、アフリカだろうがリアルタイムで仕事ができますので。
山崎
いろいろな国を回られていて、一番合うなと思う街ってありましたか?
山下
難しいですけど、やっぱりモロッコのサハラ砂漠とかアフリカのジャングルの中というのは刺激的ですよね。
山崎
けっこうプリミティブな環境ですね。それは都市疲れみたいなものもあるんですか?
山下
いや、地球が生まれた大地という感じを肌で感じることができるので。わりと怖いものもなくなってきますし、「本当に大事なものは何か」という原点みたいなのものを感じますね。結局、人間は死んでしまったら後には記憶に残らない。その間にどういう生き方をして、どう楽しんで、どう暮らしていくのかなんだという原点を思い起させてくれるのがアフリカかなという感じですね。本当に生きるか死ぬかというのが、いつも接点としてついてくるので。
山崎
旅をする時ってどうやって行き先を決めていらっしゃいます?
山下
行き当たりばったりですよね。さっき言ったスペインの『+81 Voyage』をつくる時もバルセロナでカンファレンスがあって呼ばれて。バルセロナから、ずーっと車で下りていくと、アルハンブラ宮殿があって、マラガを通って、コスタ・デル・ソルを越えて、海を渡ったらモロッコに行き着いて。「じゃあ、もっと行っちゃおうか」というふうに予定を組んでいって。行き帰りの飛行機だけで、あとは行き当たりばったりでしたね。
山崎
それって、いつもお一人で行かれるんですか?
山下
カメラマンと2人で。男性ですよ。
山崎
いいですよ、それは(笑)。相当楽しそうですね。
山下
ただカメラマンには「体のいいバックパッカーですよ」って言われます。
山崎
でも、憧れますよ。それがまた発信される感じがいいですよね。『+81 Voyage』として。
山下
そうですね。ですから、ケープタウンからラジオ発信だとか、そういうのもやっていたりとか、そういう面白みはありますよね。

100年後の人たちに、きちんと伝わるものを。

山崎
たぶんデザインとか、ものをつくる人が最も苦手とする部分だと思うんですけど。自分がやりたいことと世の中が求めていることをつなぎこむ作業ってけっこう大変じゃないですか。そういう部分で苦労している方って、結構いらっしゃると思うんですけど。そういうのって、どういうふうに考えて構築されていますか?
山下
あまり難しく考えないほうがいいのかなと思いますね。昔は情報が少なかったんですけど、これだけみんな好きなものが細分化されていて。日本人だと1億人以上いて、それが好きな人というのは100万人しかいない、あるいは1万人しかいないかもしれないけど、全世界で見れば桁数が変わってくるというかたちで考えていくと。ニューヨークなんかにいて思うんですけど、好きなものをやったもの勝ち。
山崎
なるほど。
山下
結局、同じものをやったとすると、埋没して消えていってしまってなくなってしまうので、より個性的に面白くワクワク楽しくやって、「こいつ、ちょっとおかしいんじゃないか」というものが、やはり抜けてくるんですよね。そこがもうインターネットの時代って、アリでいいんじゃないのかなと。やっぱり、自由に楽しそうにやっていると人は集まってくるんですよね。
山崎
そうですね。
山下
つまらなくって嫌々ながらやって、「きれいでしょ?」って言われても、「うん、きれいですね」って言えるかというと、ねえ?
山崎
「あ、そうですね」、みたいな感じになりますもんね、やっぱり。
山下
だから、自分たちでスタンダードをつくってしまうという気概があれば、クライアントに対してもそれは出せるのかな。多少の調整はやはり大人としてやんなきゃいけないですけど。基本は、「これをやりたいから、これを受け入れて」というかたちをやっていかないとつまらないものになるんじゃないかな。
山崎
そういう思考を持ってしまうのって、日本人の癖みたいなものもあると思うんですけど。それだけ世界中のクリエイティブをずっと見続けられてきて、今の日本のデザインってどう思われます?
山下
いや、日本のデザインってすごい繊細で、やはり群を抜いて、やっぱりイギリスと日本というのはグラフィックデザインは飛び抜けていいんですよね。ただ、今言われたように世の中が変わってくると、もっと主張していって個性的であるべきなのかもしれない。そういう時代にきたのかもしれないと思っていますね。
山崎
そういうのが、うまい国ってあるんですか?やっぱりニューヨークですか?
山下
ニューヨークでしょ。デザインはもう一部を除いてメタメタですけど、「俺たちはこれがいいんだ、間違いないんだ、信じろ」という説得力がすごい。
山崎
パワーがすごいですよね。
山下
それで押し通していけるあの力はすごいなと。
山崎
なるほど。今まで一番やりやすかった国の人というのはいますか?
山下
デザインだとオランダとかロンドンの人たち。ロンドンと言ってもヨーロッパ中のデザイナーがみんな集まってきてロンドンにいるんで。彼らは楽ですよね。コミュニケーションはレベルが上がれば上がるほどやりやすいですね。
山崎
20年に渡っていろいろな人にインタビューをされたと思うんですけど、その中でも一番好きなデザイナーというのはいますか?
山下
tomatoのジョン・ワーウィッカーなんかは作品もそうなんですけど、人としてもリスペクトしていますし。ただ尊敬という意味では、やっぱり三宅一生さんかな。あの人柄と作品以外に、結局一生さんのところからツモリチサトさんとか、ZUCCaの鬼塚さん、それから滝沢直己さん、それから吉岡徳仁さん、どんどんどんどん輩出してくると。
山崎
確かにそうですね。
山下
ああいうふうに後進を育てられる、影響を与えられる人というのは素晴らしいな。そういうふうに少しでもなりたいなという理想はありますね。
山崎
なるほど。
山下
写真家のニック・ナイトなんかもそうですね。ユルゲン・テラーにインタビューした時の話で面白かったのが、彼がニック・ナイトのところに自分の写真をポンと持っていったと。そうしたらニックが一言、「君は僕のところでアシスタントをする必要はないよ。ちょっと今から電話するから」って、『i-D』と『The Face』に電話して「素晴らしい写真家がいるから使いなさい」って紹介してくれたと言うんですね。自分のライバルになるかもしれない人を、才能があったとしても同業者を出せるという、これは相当懐が深くないと。
山崎
自分にも自信がないと出せないですしね。
山下
そういう器の大きさは持っていけるようになりたいなというのが理想ですね。
山崎
なるほど確かにそうですね。ちょっと私事ですけど、この間、金沢にお店を出したんですよ。そのオープニングパーティーをやった時に、金沢のいろいろなクリエイターが集まってくれたんですけど、そこで、同業が同業を紹介し合うみたいな環境を目の当たりにして。東京ってあんまりないじゃないですか?
山下
ないです。
山崎
それってたぶん、見ているところが違うんだなって思ったんですよ。みんな街が好きで、単に仕事だけということとは違ったコミュニティの形成の仕方があるんだなと思って。
山下
それがちょうど、全世界的、あるいは日本でもそれが生まれてきているんですよ。だから『+81』の次の号がクリエイターコミュニティなんですけど。20年前はクリエイターという言葉はなかったんですけど、たぶんこれからクリエイティブコミュニケーターという言葉が一番強く出てくるのかな。
山崎
なるほど。
山下
それの一番典型的なのが写真家のライアン・マッギンレーとか。彼はスケートボードのニューヨークのダウンタウンコミュニティからり突如として出てきたスーパースター。そういったかたちになってくるのかなと思いますね。
山崎
いろいろなお話を聞きたいところなんですけど、終わりが近づいてまいりました。山下さんにとって、グラフィックデザインとはなんですか?
山下
やっぱり、ものを伝えるための非常に重要なツールだと思っています。特に紙は。「なぜ、まだ本をやっているの」ってよく言われるんですけど、私、映画が好きで、中学生の頃のパンフレットをきれいに残してるんですよ。何百冊とある。紙って意外と、残っていくんですね。『+81』の基本方針も100年後、あるいは50年後に見られた時に、『この時代こんなものをやっていたんだな』と振り返られるような本をつくっていくというのが、一番のトーン&マナーだったんですけどね。
山崎
なるほど。
山下
そういう意味では、50年後、100年後、後世の人たちに見せた時にきちんと伝わるようなものがグラフィックデザインなのかな。
山崎
ありがとうございます。では最後に、リスナーの方にメッセージをお願いします。
山下
学生なんかによく言っていたんですけど、生き方って4つしかないと思うんですね。好きなことをやってお金が儲かる人。好きなことをやってお金がない人。嫌いなことだけどお金がある人。嫌いなことをやってお金がない人。意外と4番目の人が多いと思うんですけど。1番と4番はまずなかなか難しいとして。2番目と3番目で、好きなことでお金がないのと、嫌いなことだけどお金がいっぱいもらえる。それ、どちらが人生として楽しいのか、というのが選択肢の基準なのかな。ただ、これ結果が結構出ていて。嫌いなことをやっている人たちって、お金が儲かってもストレスが大きいんで金遣いが荒くなって、結局お金が残ってない人が多いという話をよく聞くんですね。好きなことをやっていると趣味が全部仕事なんで、いつでも楽しいですし、そういう楽しい人には新しいものがいろいろ回ってくるので、いつの間にか知らないうちにお金が入ってきて、ビジネスとして成り立つ場合があると思うんです。受注産業って基本的に、デザインもそうですけど、クリエイティブの仕事って、割が合わないんですよ。「自分たちがこれだけやったのに、フィーはこんなの?」って。だけど、そのフィーが少ない合わない仕事を続けていくうちに、工夫して割が合うようになるんですよね。
山崎
そうですね。
山下
これ続けない限り、割が合わない仕事で終わってしまう。というところだと思います。それが、その人の持っているノウハウとか経験値になっていくんじゃないのかな。だから今、これからクリエイティブである人たちは、「割が合わないや、こんな仕事」って言うのではなく、それを続けているうちに割が合うように、いつかなるようにしておくと、自分の思ったように生きられるんじゃないのかなと思っています。
山崎
素敵なお話をありがとうございました。この時間は『+81』クリエイティブディレクター、山下悟さんをお迎えいたしました。
山下
ありがとうございました。

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