銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン

隔週水曜19:00-20:00ON AIR
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PROFILE

水墨画家/現代美術家
土屋 秋恆

18歳より水墨画をはじめ、2年という異例の早さで南北墨画会師範となる。
その後クラブイベントでのライブパフォーマンスやハイブランドとのコラボレーションなど従来の水墨画の枠を越えた幅広いジャンルへと活動を展開。30歳で古典技法とポップアートが融合した新しい水墨画のスタイルを確立。今日その作品は現代アートとしても取引され年齢国籍を問わず幅広い層に受け入れられている。スタイリスト三田真一、ファッションデザイナースズキタカユキからなるアートユニットTENKI では定期的に和紙ドレスのインスタレーションを行っており、クリエイティブ業界から高い関心を集めている。
近年、着物や屏風など他ジャンルの日本伝統文化継承にも積極的に参画し、2013年には水墨画業界全体の活性化を願い自身が主宰する現代水墨画壇 墨閃会を発足、生徒の指導、若手作家の育成に従事している。
http://www.bokusenkai.com/

RADIO REPORT

vol.82015.09.0419:00-20:00

土屋秋恆 × 山崎晴太郎

山崎
ソラトニワ銀座をお聞きの皆さん、こんばんは。山崎晴太郎です。本日のゲストは、前回の黒川さんにつづいて僕の師匠ということで。水墨画家/現代美術家で、南北墨画会師範、そして墨閃会代表である土屋秋恆さんをお招きしております。僕がこのラジオを始めたのは2年半くらい前だと思うんですが、番組を始めた直後の頃に「水墨画を始めました」という話をした記憶があるので、このラジオと僕が水墨画を習っている時間って、ほぼシンクロしているんです。それでは、お迎えいたしましょう。水墨画家の土屋秋恆さんです。
土屋
どうもこんばんは。よろしくお願いします。
山崎
こんばんは。なんかあれですよね。こういう場所で、こういう感じで会うのもなにか変な感じがしますよね。
土屋
すごく変ですね。
山崎
まずは僕の方から簡単にご紹介を。土屋さんは、18歳から水墨画を始められて、それからたった2年という異例の早さで南北墨画会の師範になられた、と。その後、クラブイベントのライブパフォーマンスであるとか、ハイブランドとのコラボレーションなどなど、従来の水墨画の枠を越えて、本当に幅広いジャンルでの活動を展開されている方です。30歳で古典技法とポップアートが融合した新しい水墨画のスタイルを確立されたということで、今は40…?
土屋
41歳になりました。
山崎
そうですか。今では、いろいろな場所で生徒さんの指導もされていて、僕もその中のひとりです。

具象と抽象、商業と芸術の融合。

山崎
僕は30歳を超えたぐらいから、なんというか、デザインの背骨みたいなものを探していたんです。それで、水墨画と、他にもお茶とか…、あとなんだったかな?いくつか考えていたんです。でも、やっぱり絵を描く仕事だからと思って、水墨画の先生をいろいろ探していたら、すごくエッジーな人がいるのを見つけて。
土屋
見つかってしまった(笑)。
山崎
それが、2年半ぐらい前だと思うんですけれども、僕の最初の印象って覚えてますか?
土屋
最初の印象というのはあまり覚えてないんだけど…。なんか、ザッキーが抽象画を、あ、僕は山崎くんのことをザッキーって呼んでいるんだけど。
山崎
はい、ザッキーと呼ばれてます(笑)。
土屋
ザッキーが抽象画を始めた時に、いきなり自由に、ものすごく振り切って絵を描いてるのを見て、それがすごく印象に残ってますね。普通の人って具象から始めて、本当に基礎の基礎からやっていって、すごく慣れたところで抽象に行って、それでちょっとずつ、ちょっとずつ自分を解放していく感じなんだけど、ザッキーは初めから、思いっきり振り切って描きまくってた。
山崎
本当ですか?でも、結構難しいですよね。古典から抽象って。
土屋
そうだね。だから、抽象になった瞬間に筆が20分間止まって全く動けない人とか、そういう人もいるからね。
山崎
だって、テーマの与え方も、あれはもう部活じゃないですか?(笑)簡単にご説明すると、古典を教えてもらう時は、先生にお手本を描いていただいて、それを模写しながら、いろいろなフィードバックをいただく、というやり方なんですけど、抽象になった瞬間に、「平和」とかすごくファジーなテーマを与えられて、「はい、よーいどん!10分」みたいな、そんな感じですよね?
土屋
そうそう。あまりたくさん時間を与えてしまうと、みんな考え過ぎちゃうから。本当に何回も筆が止まって、最終的に「完成しませんでした」とか「できませんでした」っていうことが結構頻繁にあって。だけど、5分とか10分しか時間がないと、なんか「へっへっ」って言いながら勢いでやるっていう…。
山崎
確かに。その感覚はわかりますね。ちょっと話は変わりますが、リスナーがすぐにピンとくる先生の作品に、今年の春ぐらいですかね?アサヒスーパードライのドライプレミアムのテレビCMで、黄金富士と桜の…あれは、なんていうんだろう?
土屋
渡月橋。
山崎
そうそう、渡月橋篇でしたね。福山雅治さんが出演しているCMを手がけられていましたが、あれはどうやってつくっていったんでしょうか?
土屋
あれは、もう本当に「古典的な水墨画を」というオファーだったので、一点一点。一点一点と言ってもなかなかわかりにくいと思うんですけど、まず竹を全体に描こうとする時に、竹の一枝一枝を全部ばらばらに描いて、それを一つ一つデータとして取り込んで、僕がそれを一回組み上げないと、組み上げられる人がいないんで、もう一度それをCGで組み上げて、竹が揺れるようにディメンションを分けて…。カメラがぐるっと回ったりしても見られるようなものに組み上げて、ものすごく時間がかかったね。
山崎
あれって、動くじゃないですか?その時って、空間にバッファを設けなきゃいけなくて。それをさらに、一点一点ばらしながら描いていくわけじゃないですか?どうやって全体を想像しながら描かれていたんですか?
土屋
「こういう構図で、こういうふうにしましょう」っていうのは、向こうから粗くは出てきているけど、自分の中で「やっぱりこうしたほうがいい」っていうのが絶対にあるので、その完成形の姿を思い描いて、そこに「こういうふうに竹を入れたら格好いいだろうな」っていう…。その提案をずっと繰り返していって、そういう形でアングルを入れてもらうんだけど、やっぱりCGの構成上、なかなか思い通りにならなかったりして、また変えてもらったりとか、そういう作業をずっと繰り返す。それが、たった30秒とかで終わっちゃう。本当、寂しいよね(笑)。
山崎
確かに、商業って感じですよね。変な話、商業と芸術みたいなものの区分けというのが今まで結構強くあったと思うんですけど、でも、あの作品ってうまい形でそれが融合しているのかなと思っていて。そういった感覚になることって、最近多いと思いますか?
土屋
そうだね。あとは、やっぱり身近にパソコンを使える人が多くなってきて、そうするとアートであっても、データ化してCMとかに使いやすくなっていくから、どんどん商業と芸術の境目はなくなっていくんじゃないかな。

「なんだこれ!」の先にある、格好良さを求めて。

山崎
そもそも、「この人、なんで水墨画家になったんだろう?」っていうのは、リスナーの皆さんが結構気になるところだと思うんですよ
土屋
なるほど。
山崎
先生は結構お若いじゃないですか?みんなが持っている、いわゆる水墨画のイメージって、なんとなくカルチャースクールみたいなところがあって、「なんかうちの祖母もやってたけど」みたいなイメージが強いと思うんですけど、きっかけは何だったんですか?
土屋
もともとは、祖父が下呂温泉で旅館をやっているんだけど、ものすごく繁盛していた時代に浮世絵とか水墨画っていうものを沢山コレクションしたみたいで、それが館内に飾ってあって…。子供のころ、夏休みとかに祖父の旅館に遊びに行くたびに、ずっとそれらを目にしていて、「すごく格好いいな」って感じていたことと、自分の中でその存在が当たり前、みたいになっていて。それで、なんとなくやってみたくなって、高校2年生の夏休みに、当時僕は革ジャンを着てアメリカンのバイクに乗っていた、いわゆるアメカジの少年だったんだけど、「近所で水墨画をやりたい」って言ったら、「あるよ」って言われて、そのアメリカンのバイクに乗って革ジャンを着て習いに行ったんですね(笑)。そうしたら、当然おばあちゃんたちはびっくりして「なんかえらいのが来たぞ」みたいになって。
山崎
そりゃ、びっくりしますよね(笑)。
土屋
でも、やらせてみたら、どうも筋が良かったらしくて、2年ぐらいで師範になっちゃって。自分でもびっくり、みたいな感じだったんだけど…。
山崎
なるほど。2年間で師範になられて、でも、そこから「その道で行こう」と思うのは結構大きなキャリアの決断だと思うんですよ。それは、どうやって決意されたんですか?
土屋
2年っていうのは、実は間に1年間挟んでいて、僕はその間にオーストラリアに留学したの。当時、アメカジでアメリカに憧れていた少年だから、海外で英語圏に行ったら「自分はそういう欧米文化になじめる」と思っていたんだけど、意外とそうでもなくて。言葉もそこまでしゃべれなければ、ものすごく「自分がアジア人であり、日本人である」ということを強く意識させられた。同時に、「日本の文化って、実は結構格好いいのに、自分も知らなけりゃ、周りの人も全然日本のことを知らないな」と思って。なんかちょっと偉そうにじゃないけど、「語れたり、人に教えられるような日本の文化をちゃんとやろう」と思って、「そういや、水墨画やってたな」みたいな。
山崎
そういう感じだったんですね。ちなみに、水墨画で活動を続けながら、他の分野もいろいろと研究というか、勉強されているじゃないですか?それはなにか理由はあるんですか?たとえば、仏像彫刻などもされていましたけど。
土屋
仏像彫刻は、留学から帰ってきて、水墨画家になろうと一生懸命やっていたんだけど、今みたいに「日本文化ってすばらしいね」という意識が世間に全然なくて。当時は完全に、西洋文化に対する憧れが強くて、水墨画っていっても「はあ…」みたいな「どうしちゃったの?」みたいな感じで。誰も興味を持ってくれないし、「これどうしよう」と思って。人生の最底辺だよね。もう鬱みたいになって、救いを求めて、仏の顔が彫りたくなった(笑)。でも、彫ってたら救われたんだよね。
山崎
本当ですか(笑)。普通、なかなかやろうと思わないですよね。
土屋
それぐらいやばかったんだよね。同い年ぐらいの子たちが、「グラフィックデザイナー」とか「イラストレーター」とか言って、女の子にもすごく「きゃーきゃー」言われているし、みんなから「すごいね」「えっ、こんなことができるんだ!」みたいな扱いを受けているのに、俺は水墨画をやっている、みたいな…。
山崎
なるほど。なんか、すみません(笑)。
土屋
いやいや(笑)。水墨画を続けるのが正しいのかどうかもわかんないけど、意地もあるし、自分は水墨画が好きだし。でも、当然お金も入ってこないし…。20代から30代前半までの凄惨な赤貧時代の話を始めると、2時間かかるから(笑)。
山崎
じゃあ、ちらっとお願いします(笑)。
土屋
もう本当に、醤油ごはん、塩ごはん…。全然お金がなくて、とにかく活動資金もなければ、画材も買えないっていう。その当時、補助の師範として、自分の師範の教室にも行くんだけど、交通費しか出ないし、ギャランティーゼロ。26歳の時に、なにを思ったか、「バイトとか派遣とかをやりながら、やっているからだめなんだ!」って強迫観念みたいになって、全く当てもないのに全部の仕事を辞めて、なんかバーで知り合ったお姉ちゃんが自分のぼろアパートに習いに来る、みたいな、そういうよくわかんないことをずっとやってた(笑)。
山崎
そこから抜け出たきっかけみたいなものって、なんだったんですか?
土屋
その当時、いわゆるクラブで、ガンガンに音楽がかかってみんなが酒を飲んでいる所で、ライブパフォーマンスをやるっていうことだけはずっと頑張って続けていたの。酔っ払った外国人が「俺は漢字が書けるから、描かせろ」とか言ってくるような…。「いや。そういうんじゃないから!」みたいなのをずっと繰り返しているうちに、スタイリストの三田真一と出会って。それで、ファッションの業界で使ってもらえて、ファッションというファインダーを通して水墨画を見ると、突然なんか…。
山崎
それもファッションとして見られる?
土屋
そうなんだよね。「こういう活動をやっているやつがいるんだ」っていうことで、すごくメディアに取り上げてもらえるようになって、そこからちょっと人生が変わった。
山崎
クラブでパフォーマンスをされていた時というのは、古典を描くんですか?抽象を描くんですか?
土屋
その時は、がちがちの古典を描いてた。そのほうがおもしろいと思ったから。実際にはそんなことはないんだけど、抽象って「なんかできちゃいそう」って思われてもしょうがないところがあるから。
山崎
そうかもしれないですね。ちなみに、今の、水墨画の古典と抽象みたいな話なんですけど、先生はそれをすごく高い次元で融合されているというか…。なんというかジャンルを越えているような感覚があるんですけど、それは戦略的にやっているんですか?
土屋
そうだね。やっぱり「他にはないもの」っていうのが僕の中のテーマになっていて、「見たことない」とか「こんなことがありえるんだ」って、それがなおかつ「格好いいんだ」って思ってもらうのが理想なので。やっぱりさじ加減で、バランス感覚だと思うんだけど。見たことないけど、抽象と具象が混ざっていて、「なんだこれ?でも、格好いい!」っていう。その最後の「格好いい」まで持っていくために、すごく頭を使う。
山崎
ファッションブランドでそういうお仕事をするじゃないですか?そういった、いわゆるフィルターがある時とない時では、水墨画への向き合い方は違いますか?
土屋
実は、僕はそういう仕事のオファーを受けるのが、変な意味じゃなくて、すごく好きで。というのは、「こういうふうにやってください」って言われるけど、「そんなことは簡単じゃないんだよ」っていうことを向こうはわからないから、結構むちゃぶりをしてくるじゃない?そのむちゃぶりに、勢いよく応えるのが好きなんだよね(笑)。そういうひとつの条件を与えられて、それをクリアするっていうのは、クリアするためにいろいろなことを勉強するし、トライするから、すごく自分の身になるというか、「やって良かったな」っていつも思う。
山崎
これだけいろいろな作品をつくられて、自分にとってのマスターピースって何かありますか?
土屋
なんだろうな…。あんまり「これが」っていうことはないかな。僕は常に自分のクリエイションを変化させていきたいタイプの人間なので。「今回こんなことやってくるんだ」っていうのを新しく新しく、毎回フレッシュにしていって、「こういう画風=土屋秋恆」っていうのをぶれさせたいな、という。
山崎
居場所を決めたくない、みたいな感じですか?
土屋
そうなんだよね。というのは、古典があるでしょう?古典って常に変わらないから、それとは反対側にいる自分は、常に変えたいっていうことだと思う。

自由にすることで、本質が守られる。

山崎
いろいろとお話を伺っていますが、これだけ長いこと活動をされていて、それを一緒に変えていく同志みたいな人は、水墨画界にいたりするんですか?
土屋
他流派とはほとんど交流がないので、全くいないかな。最近、すごく若い方が増えてきたようだけど、やっぱりまだまだ交流がないですね。
山崎
ちなみに、長年この国の中で受け継がれてきたもので、今後も続けていきたいし、続けていかねばならないものの一端を担っていると思うんですが、その世界の中にいる身として、未来の水墨画界になにを期待していきたいと思いますか?
土屋
やっぱり、いわゆる古典的な水墨画業界の体質っていうか…。あまりこういうこと言っちゃいけない(笑)。
山崎
いや、いいですよ、言ってください(笑)。
土屋
うちの流派は全然ないんだけど、やっぱりお金がすごいかかったりだとか、そういうのってどうしてもあるんだよね。でも、そうすると、やっぱり若い子が来なくなっちゃったり、閉鎖的な世界になってしまうので…。僕なんかは墨を使っている前提で、もちろん抽象の場合だけど、「アクリル絵の具も一緒に混ぜて使いな」とかすごく自由にしてあげると、自由にしてあげることで本質が守られる、っていう感覚はすごくあります。
山崎
なるほど。自由にすることで、本質が守られる。すごくいい言葉ですね。逆に、型にはまり続けていたら、本質にたどり着きにくいっていうことですか?
土屋
やっぱり、新鮮さを保たなきゃいけない、っていうのはさっきの話とつながってくるんだけど。自分の斬新な感性であったり、湧いてくるモチベーションっていうのに、ブレーキをかけたくないんだよね。
山崎
やりたいのにやれない、みたいな。
土屋
そうなんです。そこはやっぱり自由に生かしてあげたい、というか…。自分自身でね。だから、やっぱり若い子もそういうことを絶対感じるだろうと思うから、そういう感性は殺さないように、全部を伸ばしてあげたいなって。
山崎
そういった教育的な視点も強いと思うんですけれども、今は自分の未来と、若い子を育て上げるっていうのと、ベクトルとしてはどっちが強いですか?
土屋
それって結局、自分が頑張って上がることで、若い子がついてくるとか、逆に自分も「頑張んなきゃ」って思えることでもあるので。もちろん技に関しては、僕は自分のやっている技は全部隠さずに教えてあげよう、と思うんだけど。
山崎
そうですね。
土屋
これも、なんか「教えちゃだめ」って言われたりとかするんだよね、師範に。「すぐまねされちゃうから」って(笑)。
山崎
そうですね。そういうのもありますよね。守るため、みたいな。
土屋
そうそう。なんだけど、そんなこと言っていると、若い子が育ってこないから。全部教えて、自分はやっぱり最前線で新しい仕事をやる。

日本古来の文化を、もっとラフに。

山崎
最近は、海外でも活動されていますが、日本でやる時と海外でやる時って、そもそも文化の下地や、持っている概念とかイメージも違うわけで、そういった中での取り組みの姿勢の違いってあるんですか?
土屋
やっぱり日本人って、筆を持つ作業であったり、墨っていう存在に対して、「知らない」っていっても基礎知識があるんだよね。だけど、海外の人はそれが全くないから。すごく自由な感性を持っているんだけど、エクイップメントっていうか、道具で引っ掛かっちゃうから、わざと紙で線を引かせてみたり、本当に自由な「こういう表現もあるよ」「こういう表現もあるよ」って、いろんな描き方を教えてあげると、突然スパークして、すごくおもしろい絵を描いたりするの。
山崎
そうなんですね。
土屋
だから、筆の持ち方と基礎はもちろん教えるけど、同時にいろいろ表現の仕方を教えてあげると、すごくおもしろい絵を…。それは自分も勉強になるんで。
山崎
日本では、水墨画ってトラディショナルな世界じゃないですか?そんな中で、なんか新しい刺激であるとか、領域を拡張していこうって思う時に、活動拠点としては、日本と海外どっちがいいんですか?
土屋
どうなんだろうね。でも、今は、日本の若い子たちがすごく墨に興味持ってきてくれているから、なんかそこの土台をずらすっていう、海外を拠点にするっていうイメージはあんまり持ってない。自分自身が、海外でパフォーマンスしたり、展示したりするのは、すごく好きなので、呼ばれればどこでも行きたいけどね。
山崎
なるほど。土屋さんにとってずばり「水墨画」とはなんですか?情熱大陸的な感じで、ちょっとお願いします。
土屋
一言でまとめるのは結構難しいんだけれども、僕は水墨画っていうか、自分がつくるクリエイティブは、全部インスピレーション、ひらめきだと思ってます。
山崎
ちなみに、そのひらめきという意味で、たぶん日本と海外とか、いろいろな要素はあると思うんですが、水墨画以外のの日本古来の文化もあるじゃないですか?たとえば、着物であるとか、お茶であるとか、生け花であるとか…。そういうところは、先生からはどう見えているんですか?
土屋
僕は、そもそもハットをかぶって洋服を着て、それこそ水墨画の人っぽくない格好しているんだけど。でも、着物でぷらぷら飲み歩く、っていう“キモプラ会”っていうのをつくっていて…。それを、なんかわざと日本の伝統芸能文化を見る時じゃなくて、本当にラフに飲みに行く時に和装するっていう会をやっていて。最近、名前が変わったんだけど。
山崎
あっ、そうなんですか?
土屋
やっぱり日本人として「こんなに素敵なものが沢山ある」って昔から思っていることを、なんとなく実践できる年齢になってきているのかな。肩肘を張らずに、緊張せずに、ラフに、そういう文化を体感していくっていうことがすごく好きで。だから、水墨画の立ち位置もそうだし、あんまり肩肘張らずに、難しいものだと思わずに気軽にやってほしいな。
山崎
るほど。なんかあれですね。最後に聞こうと思っていたことが、含まれちゃったような気もしますけど(笑)。
土屋
え、こわっ!
山崎
一応、聞いていいですか?最後にリスナーの皆さんにメッセージをお願いします(笑)。
土屋
本当だ、言っちゃった(笑)。そうですね、そうなんです、だから…。「だから」だって(笑)。水墨画はまだまだ気軽に感じにくいものだと思うんですけど、実際はすごく楽な、楽しいもので、みんなが気軽に感じて「水墨画っていいな」って思ってもらえればと思ってます。どこか街で見かけたら声掛けてください。
山崎
下北によくいらっしゃいますよね?
土屋
はい、いろんなとこで飲んでます。
山崎
WEBで検索をしていただければ、いろいろな作品も見られると思いますので、皆さんもぜひ、僕と一緒に土屋先生のもとで習いましょう(笑)。ということで、今日はありがとうございました。
土屋
はい。ありがとうございます。
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