銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン

隔週水曜19:00-20:00ON AIR
  • RADIO REPORTRADIO REPORT
PROFILE

書家/アーティスト
紫舟

パリ・ルーブル美術館地下会場Carrousel du Louvreにて開催されたフランス国民美術協会(155年前にロダンらが設立)サロン展2015にて、横山大観以来の世界で1名が選出される「主賓招待アーティスト」としてメイン会場約250㎡で展示。2014年同展では「北斎は立体を平面に、紫舟は平面を立体にした」と評され、日本人初・金賞をダブル受賞。
日本の伝統文化である「書」を書画・メディアアート・彫刻へと消化させながら、文字に内包される感情や理を引き出し表現するその作品は唯一無二の現代アートとなり、世界に向けて日本の文化と思想を発信している。
文科省2020 年に向けた文化イベント等の在り方検討会委員、内閣官房伊勢志摩サミット・ロゴマーク選考会審議委員、大阪芸術大学教授。
http://www.e-sisyu.com
http://www.e-sisyu.com

RADIO REPORT

vol.272016.07.2019:00-20:00

紫舟 × 山﨑 晴太郎

山崎
松屋銀座屋上、ソラトニワ銀座からお送りしております。銀座四次元ポケットプレゼンツ、山崎晴太郎の銀座トークサロン。アートディレクター、デザイナーの山崎晴太郎です。それではここで、ゲストの方をお迎えいたしましょう。書家、アーティストの紫舟さんです。こんばんは。
紫舟
こんばんは。紫舟です。よろしくお願いします。
山崎
よろしくお願いします。いきなりですが、いい意味で、あんまり書家という雰囲気ではないですよね?(笑)
紫舟
やっぱりお着物着て、髪の毛をあげていたりとか?(笑)
山崎
そうです。ちょっと白髪で、小難しいイメージがリスナーの皆さんあると思うんですけど、そういった感じとは全然違いますよね。ということで、簡単に紫舟さんのプロフィールを紹介させていただきます。書家、アーティストとして、パリ・ルーブル美術館地下会場にて開催をされた「フランス国民美術協会サロン展2014」で「北斎は立体を平面に、紫舟は平面を立体にした」と評され、日本人初・金賞ダブル受賞。2015年同展では、これもすごい。横山大観以来の世界で1名が選出される「主賓招待アーティスト」として、約250平方メートルのメイン会場での展示。もう恐ろしいですね。文字に内包される感情や理を引き出し、日本の伝統文化である「書」を書画・メディアアート・彫刻へと昇華をさせながら、文字に内包される感情や理を引き出し、表現をするその作品は唯一無二の現代アート。それが世界に向けて日本の文化と思想を、発信をしている。ということですね。今日はよろしくお願いします。
紫舟
お願いします。

自分の気持ちが教えてくれた道。

山崎
早速、いろいろとお話を聞いてみたいなと思っているんですが、そもそも書はいつからはじめられたんですか?
紫舟
6歳の頃からはじめました。祖母が自分の孫全員に日本舞踊と書を習わせたかったらしくて、それが我が家ではルールだったんですね。ですので、従兄弟も兄弟もみんな習っていました。
山崎
それじゃあ、日本舞踊もできるんですか?
紫舟
日本舞踊は3歳ぐらいからやっていました。ただ、残念ながらあまりセンスがなくて。
山崎
なるほど、最初は家庭の教育方針みたいな感じだったんですね。小さい頃はどうでしたか?自分でやりはじめたというよりは、環境を与えられたという感じだと思うんですけど。やりはじめた頃のことって覚えていますか?
紫舟
覚えていますね、初めて行った時は。子どもの頃からたくさんのお稽古事をやりたいと言って、習わせてもらえる環境にあったので、小学生ぐらいから才能があるものを探していました。才能があるものを伸ばさなきゃいけないんじゃないかということを、一桁ぐらいの年齢の時から真剣に考えていた子でした。
山崎
だいぶ早熟ですね。それには何かきっかけがあったんですか?
紫舟
うですね。幼稚園から書道をはじめて、先生がすごく熱心な方で、一桁の年齢の子ども相手にでも、4時とか5時ぐらいからお稽古を始めて、24時になっても帰らせてくれないぐらい熱心で。
山崎
それはすごいですね。
紫舟
それだけ練習すると、やっぱり上手になりますよね。それで、ある程度の年齢になると、入ったばかりの小さな子どもたちの面倒を見るようになるんです。そうすると、はじめたばかりの子でも、才能がある子、センスがある子、努力をしてちょっとずつ成長する子、すごく怠けるけれども光るものを持っている子…っていう差が見えてきて、「ああ、こんなに人って差があるんだ」って。人を客観的に見ると、なんとなく察することができて。
山崎
なるほど。
紫舟
それで自分自身の中にある才能とかセンスって何だろう、と。ある意味、自分探しの旅みたいなものを、一桁の年齢の頃からやっていたのかもしれないです。
山崎
自分の感覚として、やってもやっても上手くならないなぁという感じもあったんですか?
紫舟
ひとつはですね、いつもお手本を見ているので目はどんどん肥えていくわけですね。いいものを見ているので。実際、自分が手を動かして書く書はそれとかけ離れていて、手は残念ながら一歩一歩しか上達しなくて。ですが、目はどんどん成長していくので、常に自分の書いた書と良いお手本の字の差が埋められず、上手くなっているという実感がなくて。
山崎
なるほど。
紫舟
いつまでたっても下手だなあということと、もうひとつは同じ学年にもっと早く書をはじめた子がいて、彼女は私と違って書が大好きで、すごく練習もしていて…。「やっぱりものごとが好きな人には勝てないんじゃないのかな」と思い、「向いてないな」なんて思いながら。
山崎
なるほど。そこからもう一度、書のほうに思いが向きはじめたのはいつ頃ですか?
紫舟
書は6歳から高校生まで続けて、いったん筆を置いて学生生活をして、社会人をして。
山崎
そうですよね。ご就職もされてますよね?
紫舟
そうなんです。みんなに人生で成すべきことというのが何かあるのだとしたら、ひょっとして私にも何かあるのかなあ、と。会社を辞めて自分の内側を見つめるということをしてみた結果、「書家」という言葉がおなかの奥底の隅のほうにあることに気づいて、その瞬間に、とても心が軽くなって穏やかになって、平穏になったんですね。私はそれまで子どもの頃も、思春期も、常に重たくて暗くて、不安だらけの心を持っていたんだということが分かるぐらい心が軽くなったので、その感覚を信じてみようと。
山崎
なるほど。その学生生活や社会人時代も、ときどき書を書いたりしていたんですか?
紫舟
社会人の頃はまだ自分探しをしていて、靴づくり職人の元に行って靴をつくってみたり、ガラスの工房に行ってガラスをつくってみたり、粘土をこねたりとかしていました。ものづくりは続けていましたが、書からはなれていた時期です。
山崎
過去の記事などを拝見させていただいた中で、紫舟さんの「文字には意思があり、心がある」という言葉が気になっていて。僕も習い事として書道を少しやっていましたけど、明らかに心は感じていないわけですよ。その先の世界というものが開けた、きっかけといようなものはあるんですか?
紫舟
これは、実は子どもの頃から察していたことで、自分の体を通して生み出されるものに、その人の体温とか感情とか、思いが乗らないということはないだろうと。そして東京に出てきて、靖国神社に行った時に、たくさんの人たちのお手紙が残っているのを拝読したんですね。その時にその字を見て、まさに心がこもっていて、「生きた証や願いが、その字の中にこもっているんだな」ということに確信したように思います。
山崎
やっぱり、普通の人よりも文字に対する感覚のメッシュが細かいのだと思うんですけど、昔から文字は好きだったんですか?
紫舟
そうですね。親や友人、知人からもらった手紙とか今でも封筒の宛名の字ですら捨てられずに置いてますよね。
山崎
文字自体に対する親近感みたいな感覚ですかね。紫舟というお名前には、どういった由来があるのでしょうか?
紫舟
これはね、中学ぐらいの頃に先生がたまたまお手本に書いていたんです。130センチぐらいの大きな作品をつくっていて、行書でフニャフニャしたような字で書かれたお手本に、たまたま「紫舟」と書いていて、その時は特に何も気にしなかったんですが、書道家になると分かった時に、そのことを思い出して、その名前を使わせてもらおうと。先生はその後亡くなられたので、名前の由来を聞くことはできなかったんですけれども。この名前を持って、ようやく本当の自分になれたような気がしています。

「伝える」ための試行錯誤。

山崎
書道にも流派みたいなものがいろいろとあると思うんですが、そのどれにも属していない感じですよね。みんなが「このはらいが」とか「このはねが」ってやっている時に、「いや、私は立体です」みたいな(笑)。そういう表現のスタイルになっていったきっかけというのはあるんですか?
紫舟
そうですね。文字を美しく書くということもひとつ大切なことだと思うのですが、それ以上に、伝えたいことがあって。その文字を見た人にそれを感じてもらえるような字を書くにはどうしたらいいのだろう、と。例えば、映画のタイトルを書いた時に、その映画の内容を予見するような字はどうしたら書けるんだろうとか。そういうことを繰り返していくうちに、切ない気持ちを伝えたい文字の線は、切なそうな1本の線だけでちょっと心が揺さぶられたり、情熱でしたら、熱がほとばしるような書体になったり、それを突き詰めていった結果、一般的な書は5書体ぐらいなんですけれども、そういったところから離れたといいますか。
山崎
そうすると、伝えるということを、ずっと考え続けて生み出されたものという感覚なんですね。
紫舟
そうですね。以前、書道というものも、この国の伝統も、文化も、日本語も知らない人に伝えるにはどうしたらいいんだろうと思いながら、ヴェネツィアから飛行機の中で涙を流しながら帰国した経験があって。
山崎
なるほど。「伝わらないな」と思いながら。
紫舟
そうそうそう。「紙に書いた書は伝わらないな」と思いながら。部屋の中でもお風呂の中でも、泣くときって不思議ですよね。体育座りをするんですよね。
山崎
そうですか(笑)。
紫舟
湯船の中で、なんかもう涙を流しながら、時々お湯の中に顔をつけながら。
山崎
なんかマンガのワンシーンみたいですね。
紫舟
そうなんです。そんな思いもしながら真剣に悩んだ結果、文字が伝統や紙から解放されて立体になり、そこに光を当てて、影で文字の意思を表現することによって、伝えられるのではないかと思って。影って感情移入しやすいんですよね。実は、人は実体よりも曖昧なものにこそ、より感情移入しやすかったりするものなので。その立体にした彫刻に影を落として、その影で文字の意思を伝えるとすれば、国境を越えられる表現になるのではないかと。
山崎
そういうのって、デザイナーがタイポグラフィーでやるのとは、全然違うと思うんですよね。僕らはコンテンポラリーな表現領域でやっていますけど、書家の方がやるとなると、トラディショナルな領域の中での冒険になるじゃないですか。そうすると、「書を馬鹿にするな」というような声があったりはしないんですか?
紫舟
ねえ、そうですよねえ。おそらく、私が大人になって書の団体に所属しなかったのは、子どもの書道会しか知らなかったので無知だったのです。そういうのがあるって、無知すぎて知らなくて。
山崎
なるほど、逆に良かったみたいな。ここまで、伝わるということがひとつのキーワードになっているかなと思うんですけど、紫舟さんの考える、伝わる表現って何だと思いますか?
紫舟
うーん。子どもって、よくお手紙を書くんですよね。幼稚園児ぐらいの、ちょっと平仮名を覚えた時期に。それで、お父さんとかお母さんに感謝の手紙を書いたり。たぶん、あれが一番伝わるものなんだろうと。
山崎
そうですね。うちは、子どもがふたりいるんですよ、まさに幼稚園ぐらいの。
紫舟
本当ですか!?あと、「肩たたき券」をつくってくれたりとか、「何でもやってあげる券」とか。そういったものにできるだけ近づいて、受け取ってくれた人が、その送った人が持っていた感動とか感謝の気持ちを、その紙1枚を受け取ることで同じように伝わったらいいなと。
山崎
なるほど。伝えるということで考えた時に、そもそも書というのは漢字なので、日本や中国の人には、それ自体の形から伝わるものもありますよね。逆に、単なる記号として捉える文化圏の人もいると思うんですけど、そういった時に、伝え方のアプローチというのはやっぱり変わるものですか?
紫舟
私自身、扱っているものが日本語ですので、日本語を使っているのは日本だけですし、国境を越えた瞬間、伝わらないと思っていたんです。壁があるし限界があると思っていたんですが、実はなかったんだなと。
山崎
へぇ、そうなんですか?
紫舟
それはひとつに日本語が記号化されていないこと。文明が発達すると文字は簡略化されてきて丸とか線とかにどんどんなっていくんですが、幸いにも日本語はそうなっていなかった。それと、もうひとつは書の持つ表現力だと思っています。
紫舟
2014年にパリで展示をした時に、「言葉は通じないだろうな」と思っていたのですが、鉄の彫刻を5体展示していて、それを見たフランス人たちが、「これはこういう意味を書いてるんだろう」って言い当てるんですね。
山崎
へぇ、それはすごい。
紫舟
フランスというのは、日本と違って、キャプションで作品を理解するのではなくて、自分の目を信じて作品の奥深くまで鑑賞の旅に出て、むしろキャプションとかは展示しないぐらいですから。それでも、彼らは書いてる文字を言い当てていくんですよね。
山崎
それはもう魂と魂の会話みたいな感じですよね。
紫舟
そうでしょうね。そこにある物体を超えていますよね。

限界を超えて、より「伝わる」表現に辿り着くために。

山崎
作品をつくる上で、いろいろなインスピレーションを受けていると思うんですけども、紫舟さんの最も大きなインスピレーションソースはなんですか?
紫舟
最近、ようやく分かったんですが、たくさんのアートを見るよりも、どなたかの講演会に行って、そこでちょこっとメモ帳と鉛筆を持って座っていると、どんどんインスピレーションが湧いてくるんです。
山崎
それはどういう講演会ですか?
紫舟
テクノロジーもそうですし、未来のこともそうですね。誰かの言葉によって自分自身が持っている何かが刺激されてつながる瞬間があるようで、どうもそれは、私は視覚的なものではなくて、言葉によって起きるようです。
山崎
それを受ける時って、書家の方のインスピレーションってどういう感じになるんですか?例えばデザイナーの場合は、やはり意匠的なイメージとかだと思うんですけど。
紫舟
私の場合は、何か言葉を受けた時にそれとは全く違う、全く関係のないアイデアがどんどん思いついていくんです。
山崎
じゃあ、なんか押し出されているような感じですか?どこかが刺激されて、何かがピョーンと飛び出すような。
紫舟
そうかもしれないですね。気づかせてもらってる。
山崎
面白いですね。作品をつくる上で、何か意識していることはありますか?ある程度、自分の作風が決まってくると、周りからそれを期待されてしまったりということもあると思うんですけど。
紫舟
よく「駄目だ」って言われるんですけど、本当はひとつの書体を書き続けなきゃいけないらしいんです。
山崎
それはよく言いますよね。
紫舟
そうなんです。いろいろな書体を、できれば毎回違う書体を生み出したいと思っていますし、書以外にも彫刻も絵画もメディアアートも、いろいろなものをつくっているので…。
山崎
色がつきにくいみたいな。
紫舟
そう。共通しているのは、全てのものに対して、まだ誰も見たことがないものとか、まだ誰も発想していないものとか、そういったものをつくりたいと思っています。
山崎
それはもう、自分自身も見たことがないものということですよね。それを実際につくる作業としては、どういったことをされているんですか?以前、何かの記事で、ひとつの作品に対して500個くらい書くとおっしゃっているのを拝見した気がするんですけど。
紫舟
安藤忠雄さんがすごく好きで、私の作品のつくり方は、安藤さんが本の中で書いていたつくり方を真似しているんですね。私自身が何かを生み出したい場合は、まず自分自身を深く問うていくという作業を重ねて情報を集めていきます。その情報をしっかりおなかの奥底に落とした上で、そこからいったん離れて、筆を持つんですけれども、自分の中に情報は入っているので、いろんな書体を書いてみるんですね。例えば、「悲しい」の中にも、いろいろな悲しいがありますよね。フラれて悲しいのか、誰かともう会えなくなって悲しいのか、それとも不合格で悲しいのか、わけもなく悲しいのか。それらの「悲しい」を全て書き分けたいと思っているんですね。それで書いていくと、例えば100とか200ですと、過去書いたことがある書体しか書けないんですね。で、私の場合は、自分の限界を超えるには数しかなくて、それがだいたいの目安で500ぐらい書くと、その「悲しい」が書けるようになると言いますか。
山崎
なるほど。手数をかけることで、自分の引き出しすらも超えていくということですね。その500個書いている中で、字体と書体のバランスが崩れて、情報伝達という文字本来の機能が失われてしまうこともあると思うんですが、そのバランスというのはどう考えられていますか?
紫舟
そのあたりのバランスは、例えばそれがどなたかから依頼された映画の題字とかですと、だいたいは監督に駄目出しされます(笑)。
山崎
そうですよね。「読めないよ」みたいな。ご自身で全て自由にやる場合は、どのへんが着地点になるんですか?
紫舟
普段から信じている感覚は、腑に落ちるとか。自分自身の体の中で腑に落ちるっていう感覚をものすごく信じていて、自分の作品の時はそうしてます。
山崎
その腑に落ちる具合って、どのへんにありますか?あまり自分の世界に深く入り込んでしまうと、閉じこもっていくというか、「まぁ、自分が理解できればいいや」という感覚になってしまうこともあると思うんですが。
紫舟
それはやはり、一番大事にしていることとして、見てくださった人が感動してくださることというのがあるので。書道家を始めてからものすごい数の展覧会をしているんですけど、どなたも見に来ないですよね、普通。
山崎
え、紫舟さんでもそういうものですか?
紫舟
今、お話をしているこのブースもガラス張りですけど、たとえば、この壁に私の書を飾ったとして、目の前をたくさんの人が行き交う中、その足を止めることもされないんですよ。そういう経験を、おそらく100展分くらい経験しているので、やはり見に来てくださった方には、感動を持ち帰ってもらいたいなと思っていますね。だから、どうしても自分の作品にかける想いからやり過ぎてしまうこともあるんですけど、そういう時は「あっ、伝わらなかった。あの昔の感覚と一緒だ」と落ち込みますね。
山崎
伝わるための表現を探して、書を立体にしてみたり、インスタレーションとして動かしてみたり、いろいろな新しい表現をされていますよね。ただ、本来的には書って動かないものだと思うんですけど、紫舟さんの作品では動いたりもするわけで、そうなった時に、書の本質ってなんだと思いますか?
紫舟
うーん、難しい。
山崎
じゃあ、書かなくても書なのかなとか、例えば。たとえば、空中に筆で文字を書いて、その筆の軌跡が見ている人の目の中に入れば書と言えるのかなとか。
紫舟
ああ、なるほどね。面白いですね。最近つくりはじめたばかりの作品で、「書のキュビズム」という作品があるんですね。それはピカソが一点透視図法を非難して多面的に絵を見たことと同じように、書を多面的に見れるよう空中にドローイングしたように浮かせているんですね。正面から見ると書として認識できるんですけども、それを360度鑑賞できるようにしていて、少し体をずらすといろいろな線が複雑に絡んでいるので、文字として成立はしなくなるんですね。
山崎
なるほど。
紫舟
これって、今おっしゃったような質問のヒントに近いんじゃないかと思うんですけど、ただ、まさに今つくっているところなので。完成すれば、またちょっと答えが見えてくるかもしれないですね。

自分を手放せる、たったひとつの時間。

山崎
昨年12月、ルーブル美術館での「フランス国民美術協会2015」という展覧会で、「はじめて かみさまが おりたったころの ものがたり」という展示をされていましたよね。その内容をYouTubeで拝見したんですけど、この作品はどうやって生まれて、どうやってつくっていったんですか?
紫舟
これは、宮崎県の都城市のために何かつくりたいと思ってはじめたのがきっかけですね。あのあたりは天孫降臨といって、神様が降り立ったところで。当時は、あちらこちらに降り立ったんだろうなと。
山崎
なるほど。
紫舟
いろいろな神様が書を触れる。例えば、岩という文字を触れると天岩戸が出てきて、さらに日という文字を触れると天岩戸から天照大神が出てきたりとか。そういった作品です。
山崎
リスナーの方には、ぜひYouTube(https://youtu.be/Azuhd57EU68)で見ていただければ思うんですけど。この作品の雰囲気はとても荘厳な雰囲気なんですけど、そこに登場する子どもたちは、とても純粋に楽しんでいる感じなんですよね。
紫舟
そうですね。ありがたいですね。
山崎
だからたぶん、世代を超えていろいろな楽しみ方、感じ方があるような作品だなあというふうに僕は感じましたね。作品のつくり方としては、誰かのためというような入り方と、自分発信でつくるのと、どちらが好きですか?
紫舟
メディアアートは8年ぐらいつくっているのですが、ここ6年ぐらいは毎年1作品ずつつくるようにしています。この作品もそうなんですけど、アートと教育って結構対局にあるように思われていたりするなと思っていて。そうではなくてアートも子どももみんな一緒に、その作品を触れることで私たちが使ってる言葉の起源や歴史、神様はこんなにあちこちにいたんだということに気づいてもらえたらいいなと、そんな想いが先行してつくっています。
山崎
やはり伝えたいという部分が原点にあるんですね。
紫舟
ありますね、本当に。
山崎
そのうち小説とか書いたりとかするんじゃないですか?
紫舟
書きましょうか(笑)。
山崎
そういう欲求が最終的にどこへ向かうのかというのは、とても気になるところです。ちなみに、海外でも活動をされていますけど、そこには日本の書というものを世界に伝えていこうという気持ちもあるんですか?
紫舟
そうですね。こういう時代に生まれることができて、また幸いにも海外からオファーをいただく機会がたくさんあったので、やるべきことのひとつとして、日本の文化や伝統、そういったものを作品を通して伝えられるような仕事をすることがやるべきことのひとつかなと思っています。
山崎
なるほど。海外に作品を出すにあたって、なにか工夫されていることとかはありますか?
紫舟
国によってものの見方とか目の動きが違うんですね。例えば日本語の「の」っていう字に象徴されるように、これ右回りですよね。でもアルファベットは、例えば小文字の「a」を思い浮かべてみると左回りですよね。
山崎
ああ、そうですね。確かに。
紫舟
日本語の本は左からも右からも開きますけど、西洋は左開きですよね。ということは目が、その流れで動くんですよね。で、私たちが作ったものも、例えば左回りが普通だと思ってる人たちに「の」を見せると、何かしら違和感があって、「あ、これは東洋のものだ」と感じてもらうことができるんですね。ただ右回りばかりですと、まだ受け入れてもらえないところがあって、だから、アルファベットの「a」に近いような、たくさんの左回りの中に、少しだけ右回りのものを入れることによって、彼らに見てもらいやすい形にしたりはしていますね。
山崎
なるほどね。その目の動きというようなお話って、おそらく認知科学みたいなことやアフォーダンスみたいな話にもつながってくると思うんですけど。紫舟さんは、ものすごくキャパシティーが広いですよね。「私は書家だから、書だけを」みたいな感じではないですものね。
紫舟
そうですね。
山崎
すごくいろいろなことに興味があるというか。先ほどの靴職人の話もそうですし。その原動力となっているのは、やはり「これが好き!」といったような感情ですか?
紫舟
ものづくりがすごく好きで、一生ものづくりをしていきたいと思っていて、こんな楽しいことをどうして人に任せるんだろうとは思いますね。例えば、ガーデニングも外注すれば立派な庭ができるんですけど。でも、逆に見れば、お金を払って喜びを手放しているわけですよ。
山崎
たしかにそういう視点もありますね。では、そろそろ終わりも近づいてきたということで、紫舟さんにとって「書」とはなんでしょう?
紫舟
最近、自分がなんで書を書くのか分かってきたんですが、私は筆を持っている瞬間だけ、心を手放すことができる。これはなかなかニュアンスを伝えることが難しいんですけど。私の心は、いつも波立っていて心が多動なんですよ。あっちこっちに興味があって。
山崎
なんか分かります、今日のお話からも。
紫舟
それで大変なんですよ。落ち着かない。ただ、筆を持っている時だけその心を手放すことができて、平穏な心安らぐ時間になるんですね。それを感じたくて、心を手放したくておそらく筆を持ってるんじゃないかなあと。
山崎
ああ、なるほど。ありがとうございましす。本当はまだまだ、お伺いしたことがたくさんあるのですが、そろそろ時間ということで。本日は書家・アーティストの紫舟さんをお迎えいたしました。
紫舟
どうもありがとうございました。
山崎
ありがとうございました。

GUESTSGUESTS 一覧を見るMORE