銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン

隔週水曜19:00-20:00ON AIR
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PROFILE

香道家元後継者
蜂谷 宗苾

室町時代より20代500年に亘り香道を継承し続けてきた志野流第20世家元蜂谷宗玄の長男として生まれる。
2002年より1年間奈良の山中にある禅寺に身を置き、現530世大徳寺住持泉田玉堂老大師と寝食を共に過ごす。2004年玉堂老大師より軒号「一枝軒」宗名「宗苾」を拝受、第21世家元継承者(若宗匠)となる。
現在は次期家元として全国の幼稚園から大学での講座を開催し、一方で香道という日本独自の香り文化を通し各国との交流、文化によって世界を繋げるという思いのもと活動。パリ、ロンドン、北京など海外教場での教授、講演会も精力的に行っている。また稀少な「香木」を後世に遺していくため植林活動も行っている。
文化庁海外文化交流使 フランス調香師協会名誉会員

http://www.shinoryu.jp/

RADIO REPORT

vol.262016.07.0619:00-20:00

蜂谷 宗苾 × 山﨑 晴太郎

山崎
松屋銀座屋上、ソラトニワ銀座からお送りしております。銀座四次元ポケットプレゼンツ、山崎晴太郎の銀座トークサロン。アートディレクター、デザイナーのそれではここで、本日のゲストの方をお迎えいたしましょう。香道家元後継者の蜂谷宗苾さんです。こんばんは。
蜂谷
どうも、こんばんは。
山崎
お久しぶりです。
蜂谷
お忙しそうで何よりです。まずは、僕のほうから蜂谷さんをご紹介させていただきますね。香道家元後継者ということで、室町時代より20代、500年にわたり香道を継承し続けてきた志野流第20世家元蜂谷宗玄氏の長男にあたります。2002年より1年間奈良の山中にある禅寺に身を置き、現530世大徳寺住持泉田玉堂老大師と寝食を共に過ごされました。2004年一枝軒宗名ということで、宗苾を拝受、第21世家元継承者になられました。現在は次期家元として全国の幼稚園から大学まで講義を開催されたり、香道という日本独自の香り文化を通しての各国との交流などに力を注がれています。ちょうど、昨日パリから帰ってこられたばかりということで。
蜂谷
そうなんです。
山崎
パリ、ロンドン、北京など、海外での講演会も精力的に行いながら、また、稀少な香木を後世に残していくための植林活動も行われています。

遥か過去からつながる、香りの道。

山崎
香道って、あまり皆さん馴染みがないかなと思うのですが、そもそも、どういったものかご紹介いただけますか?
蜂谷
日本の三大伝統文化というと、実は茶道、華道、香道と並んでいて。香道というぐらいですから香りの道、私たちは香りを通して自己鍛錬といいますか、自分の精神面、ステージを高めていくわけですね。道ですから3カ月コース、6カ月コースはないので、死ぬまで自分を鍛えていくというものなんです。ただ、香りを通してと言っても、その香りとは何なのか、と。松屋でも香水はいっぱい売っていますけども、香水ではちょっと。
山崎
ちょっと違うわけですよね。
蜂谷
違うんですね。お線香ともまた違う。では何かといいますと、東南アジアで産出される沈水香木というものがありまして、この香りを鑑賞する。当然、作法もあるし、源氏物語や古今和歌集、中国の漢詩といったものを学びながら、禅のようなイメージでステージを上げていくわけですね。
山崎
例えば着物に香りを付けてたりですとか、手紙に香りを付けて送ったりとか、そういった文化にもつながっているんですか?
蜂谷
そうですね。やはり一番分かりやすいのは、今から1000年ぐらい前の平安時代ですね。貴族たちは政治等いろいろなことをしますけども、教養がとても大事で。すごく素晴らしい政治家であってもですね、和歌が下手くそとか、字が下手くそというと、もう歴史に名も残らないし、すごく評価下がってしまう。なので、今の政治界の方々がどうかというのはちょっと置いておいて、昔の人たちはやはりそういった教養が大事で、その中で、やはり香りというものも大事なポイントだった。現代のように香水売り場はないですから、貴族たちは自分たちで香料を集めて、そしてそれをミックスして自分の香りをつくっていたんですね。その香りを手紙だとか、もっと言えばラブレターにとき込んで、あとは着物であるとか、髪の毛にときしめて生活をすると。それはまだ、香道がはじまる前の時代の話ですけどね。
山崎
そうなんですね。
蜂谷
香道以前から、そういった香り文化があったということなんですね。
山崎
とても深く日本の文化に根差してきたということですよね。
蜂谷
そうです、古くからね。
山崎
ちなみに日本最大の香道流派である志野流なんですけれども、そこの長男として生まれてこられて、その流派を継ぐというのは、もう決まっていた感じですか?
蜂谷
これはですね、僕の最大のテーマでして。取りあえず40年近く生きてきましたけど、いまだに答えが出てないところですね。私は、いわゆる就職活動も何もしてませんし、資格を取ったわけでもないですが、おぎゃあと生まれた瞬間に21代目を継げと。生まれたくて生まれたのか、よく皆さまからは運命だとかそういう格好いい言葉で持ち上げていただけますけども、なかなかまだ租借しきれてないといいますか。
山崎
なるほど。腹落ちしきってはいない感じですか?
蜂谷
本当のことを言うと、そうですね。ただ、じゃあ不幸かというとそういうことではなくて、とてもありがたいと思っているし、この責任ある日本の文化、香道という特別なジャンルを自分が受け継げるというのは、こんなありがたいことはないとは思っています。
山崎
話は変わりますけど、いわゆる日本の伝統文化を守られている方って、普段から着物で生活をされていたりとか、ティピカルなイメージを大事にされている方も多いと思うんですけど。蜂谷さんって、ちょっと…(笑)。
蜂谷
何ですか、何か問題ありますか(笑)。
山崎
今日もパナマハットで、現代の町にとてもなじむようなルックスですよね(笑)。このあたりは何か、意識的なものはあるんですか?
蜂谷
何でしょう、実は今、私の横にあるかばんの中には、着物一式もありますし、実はスーツもちゃんと持ってきています。ただ、今日はラジオですので、見えないのかなと思ったら、実はこれ写真撮影されているわけですね(笑)。
山崎
されています。
蜂谷
参っちゃったなと、今思っているところなんですけど(笑)。
山崎
でも、メディアとかに、結構今みたいな格好をされている写真が上がっていますよね?
蜂谷
上がっていますね。なので、気にしていないというか。この短パンでお稽古はまずいので、ちゃんと着替えますし、オンとオフの切り替えといいますか、24時間365日スイッチは入れられないので、お稽古のとき以外は普通の格好で過ごしていますけど。
山崎
僕がはじめて蜂谷さんにお会いしたのは、中国の天津だったと思うんです。その時も、敷居というとあれですけど、そういった余白みたいな部分があるから、どんどんお話することができたのかなと個人的には思っていて。
蜂谷
もう、イメージがやっぱり堅いですから、今すごく丁寧に肩書きをお話ししていただきましたけど、どう考えても堅いですよね。何といいますか、やはり香道というのを日本全国に広めたいっていう気持ちと、世界にも広めたいという気持ちがありますから、あまり気難しい感じで登場しても、それで壁ができてしまうといいますか。
山崎
そうですね。
蜂谷
香道自体は高尚で、全ての伝統的なことを網羅していますから、やることも難しいんですけど、ただ僕自身は振り幅があったほうがいろいろな方に楽しんでいただける可能性が高まるのかなと。そういう気持ちもどこかにありますが、実は僕にとってはこれは自然体なので、特に深くは考えていないですね。
山崎
なるほど。ちなみに、香道以外の道に進もうと思ったことはあるんですか?
蜂谷
僕、幼稚園からいわゆる大学社会人リーグでずっとサッカーをやっていたので、もっと努力していればプロにもなれたのかな、と思いますけど。まあ、努力が足りなかったので、途中でやめてしまいました。そうですね、この家に生まれていなければそういった道を行けたらよかったなと。生まれ変わったらもう少し努力してですね、どこかイタリアかイングランドで活躍したいなと思っていますけども。
山崎
いいですね。でも、その家に生まれて、継がないという選択肢もあるんですか。
蜂谷
そうですね。よく言われました。18、19の頃に父親から「やる気がないんだったら出て行っていいよ」と。「うちは弟も居ますし、どうぞ」と言われました。面白いもので、言われれば言われるほど、「いや、なにくそ」と思いましてね、「じゃあ、やるか」って思うんですけども。父は私のことはすごく心配したと思いますね。僕としては、なかなか納得できる段階まで行きませんでしたので。やっぱり24~25歳ぐらいまでかかりましたから。これ、江戸時代だったら、そんなことしてちゃ駄目だってなりますけど、今こういう時代ですから、「やる気がないんだったら出て行っていいよ」と、そして弟がやると。仮に弟もやらないとなったら今度は養子を取るんでしょうし。
山崎
なるほど。
蜂谷
大事なことは、やっぱりこの香道という文化、そして志野流という流派を一度も途切れることなく次の時代に続けていくことなので。僕がやる気がないのに嫌々跡を継ぐのも、そんな失礼なことはないですから、それで僕は時間がかかりました。

歴史上で3人しか切ることを許されなかった香木。

山崎
蜂谷さんが香道で最も惹かれる部分、「面白いな」って思う部分ってどこですか?
蜂谷
香道では香木を使いますよね。そうすると、この歴史自体が550年ぐらいあるので、私たちが歴史の教科書で学んできたような武士とか貴族とか天皇とか、名だたる名士たちはみんなお香を聞いているんですよね。そうすると、その物質が残っているわけです。たまたま、私たちは家元ですからそういったものも全て持っていますけども、300年前、400年前とかの武士、例えば徳川家康でもいいし、織田信長でもいいし、伊達正宗でもいいんですけども、彼らがその当時に「うわあ、これいい香りだな」って言って愛した香木を今も楽しめちゃうんですよ。これはもうぞくぞくっとしちゃいますね。
山崎
時間を越えますもんね。
蜂谷
もちろんそこに作法が必要なので、きちっと支度しなきゃいけないですけども。ですから、例えば千利休が飲んだお茶って多分ない。あったとしてもね、味は変わっちゃうかもしれません。
山崎
そうですね。
蜂谷
香木って変わらないんですよね。だから、500年前、1000年前のものを楽しめるっていうことは、昔の人間と香りを通して会話ができるんです。それはもう、香道しかできない。これは面白い文化だなと思いますね。
山崎
天津のときに教えていただいた、蘭奢待。これは、話を聞いただけで、まさに鳥肌ものだったんですけど。ちょっと、ご説明いただいていいですか。
蜂谷
そうですね。この世界で一番有名な香木がありまして、それは奈良の正倉院に入っていて、今から1000年以上前に日本にやってきた。かなり大きい、1.5メーターぐらいあるかな。これがいわゆる最高級のものと言われていて、この名前を蘭奢待と言います。これは、この長い歴史の中で、なんと3人だけが切り取ることを許された。
山崎
そうなんですよ。
山崎
ちなみに今は宮内庁の管轄ですから、当然切り取ることは許されませんし、正倉院展という展覧会があっても、10年に1回ぐらいしか出てこないと。そのときも蔵から出すときはちゃんとグラム単位で量って。戻すときもグラム単位で。
山崎
減ってないかを確認するんですね。
蜂谷
なぜならその学芸員さん、誰かがちょっと取っていないかと。まあ、そんな人はいないと思いますけども、一応量るらしいです。この香りが素晴らしいということで、1人目が香道ができたときの将軍ですね、足利義政、彼が切り取りました。
山崎
文化人ですよね、やっぱり。
蜂谷
そうですね。次にその義政に憧れていた、尊敬していた人物、これが織田信長ですね。信長はなんで取ったか、いろいろな理由あると思いますが、自分しか取れないぞと。他のやつら欲しくても取れないだろうという、やっぱり権力の誇示もあると思いますし、また、その取ったものを手柄があった家臣に分け与えたとか、そういったこともありました。そこから、時代がだいぶたちまして、明治天皇が3人目で切り取った。なぜ明治天皇か。ちょっと調べたんですけど、明治天皇は織田信長を尊敬していたというのがまずひとつ、そして、天皇ですから取れるとは思うんですけども、実は1日1瓶の香水を使っていたぐらい香りが好きだったらしんですね。
山崎
すごいですよね、それ。
蜂谷
1瓶ですからね。ワンプッシュぐらいでも、僕たち日本人は「強いな」って感じてしまうんですけど。1瓶使うってどれだけ好きだったんだろうと思うんですが、まあ、いろいろな理由があって、その3人が切り取りをされたわけです。もちろん、さまざまな家に分け与えたりしていますから、いろいろなお家にもあって、当然家にもあるんですけど。これをやはり、香道をする人間というのは死ぬまでに一度は楽しんでみたいなと思うんですね。
山崎
蜂谷さんも聞かれたことあるんですか?
蜂谷
ありますね、一応。
山崎
どんな感じなんですか?
蜂谷
ちょっとここでは言えないぐらい難しくて。「いにしえの香りですね」、とか言っておけばいいですか。ずるいですね、それはね。
山崎
でも、そういう話だけでも、文化の横串を刺せるというか。正倉院展って、そんなに興味を持ったことがない人もいっぱいいると思うんですけど、その一言があるだけで、見方が全然変わるなというのは感じますね。
蜂谷
そうですね。

世代をつなぎ、学びをつなぐ。

山崎
茶道や華道のように、香道にもいろいろな所作やお作法があると思うんですけど。その奥義みたいなものってあったりするんですか?
蜂谷
今は父が20代目の家元ですが、その家元から家元へつないでいく。要は、お弟子さんにすら教えられない秘伝っていうのはいっぱいあります。つまり家元の体の中に染み込んだもの、あとは頭の中にあるもの、これを実はずっと受け継いで、今、私はそれを受け継いでいる最中です。父からすべて受け継いだら、今度はいずれ私が年を取って、死ぬまでに自分の子どもにバトンを渡すと。これがやっぱり一番大事なことで、だから私は常に父とすでに亡くなった祖父までの19人と会話できているんですね。
山崎
なるほど。
蜂谷
父というフィルターを通しているんですけど、初代とも会話をしている。これが途切れてしまうとおしまいだし、やはり録音しても駄目なんですね。録音だとか、映像に撮るっていうことでは駄目で。生身の人間から受け継いでいくと。これは本当にひしひしと感じますね。ですから、途切れないように、実は父と同じ飛行機とか、同じ車とかには極力乗らないようにしてますね。
山崎
そこまで徹底するんですね。
蜂谷
それは気をつけるようにしていますね。お弟子さんのほうはお弟子さんのほうで、志野流に入門すると、家元から教わることいっぱいあります。これはもちろん他の流派の方には教えられないし、どこかでそれを漏らしてしまうということはできませんので。やはり入門したお弟子さんというのは、ある意味ファミリーですね。それを一緒に次の代に守っていこうということですね。
山崎
その秘伝みたいなものというのは、ずっと何代も変わらないものなんですか?それとも何らかしらのカスタマイズというか、ご自身の代ごとに少しずつチューニングがされていくものなんですか?
蜂谷
両方ありますね。要は触ってはいけないことってあると思うんですよ。そこは誰も触らないですね。ただ、時代が変わってくると、例えば今もう、どうでしょう、正座とかってかなりしんどい人が増えていると。それをかたくなに「いや、正座で2時間やりなさい」って言われると、まずその香道人口も減っていくだろうし、大変なので。例えば私の父が、いわゆる立礼っていうんですけど椅子、机で作法ができるっていうものを開発しただとか。なので、その代その代によって、触っていい部分は新しくバージョンアップしていくと。
山崎
なるほど。
蜂谷
私も、例えば今、なるべく活動はFacebookだとか、Instagramとかでアップしてるんですけど、こうすることによって本当にたくさんの人に知ってもらえる。この作業すらも古いお弟子さんからしてみると、「そんな写真なんて撮って」なんて叱られますけども、これはやっぱり僕は時代だと思っています。ひょっとして、また僕の子ども、孫が何かをしはじめたとき、僕はそれに付いていけなくて「そんなことしちゃ駄目でしょ」って言うかもしれない。でも、時代はどんどん変わっていきますね。
山崎
そうやって受け継がれていくんすね。ちなみに、冒頭でもおっしゃっていましたけど、茶道とか華道とか、いろいろな道があると思うんですけど、香道ってなかなか一般的に知られていないですよね。それには何か、歴史的な背景があるんですか?
蜂谷
もう全然違います。そういう素材を扱う私たちにとっては、もちろん私は今、世界を飛び回って、できるだけ多くの方に香道を知っていただきたいですけども、それに比例してお弟子さんが増えてしまうと、自分で自分の首を絞めてしまうようなことになってしまうので。結構、これは僕の課題なんですね。
山崎
そうですね。
蜂谷
どうしたらこれ解決できるか考えますけども。とにかく素材の香木が少ないし、大事に大事に使っていかなきゃいけない。これがまず大きな理由ですね。
山崎
もう絶対量が決まってしまっているということですよね。
蜂谷
そうですね。それと、もうひとつ理由があって。もちろん茶道、華道、能・狂言、日本の文化もありとあらゆるものが奥深くて、実際に10年、20年、30年とやってみないことには分からないこともいっぱいあると思うんですね。本を100回読んでも駄目なので、やはり五感で感じながらやっていくと。そうすると見えてくる。そこに至るまで、ある人は10年で何かわかるかもしれないし、ある人は死ぬまでわからないかもしれないと。そんな道を歩いていくのですが、香道でもっとも大変なのは教養の部分なんですね。やはり、和歌から歴史の物語もの、つまり『源氏物語』とか、『伊勢物語』とか全てを知らないといけない。そして、書もやらないといけない。ですから、「ちょっと気軽にやってみようかしら」とはならないわけです。
山崎
カルチャーセンターで、というわけにはいかない感じなんですね。
蜂谷
実際には、あるんですけどね。そういったところには求めずに、香りに向き合って楽しむでも構わないんですけど。ただ、本当に入門して、「よし、やるぞ」と決めたら、ちょっと生半可なことで済まないぐらいというのはありますね。それは何が証明しているかと申し上げますと、父は今76歳なんですけど、いまだに朝から晩まで書斎で勉強してるんですね。
山崎
そうなんですか。
蜂谷
それ見ると、ちょっとへこみますよ。
山崎
なるほど。いつたどり着くんだろうみたいな。
蜂谷
で、言うんです。その父が「一生では足りないな」と。「三生必要だ」って言うんですよね、香道全部を知るためには。ですから、僕たちはバトンでつないでいって、父ができなかったことを僕がやる、僕ができなかったことを今度は子どもがやるということになるんですけども、それぐらい、文化の中でもちょっと難しいところあるのかなと。それで広まってないっていうのもありますね。

変える必要のない、完成された美しさ。

山崎
先ほども香道の作法という話が出ましたが、リスナーの方は、「香道の作法ってなんだろう」と思っていると思うんですね。
蜂谷
想像つかないでしょうね。
山崎
たしか、卓上の配置みたいなお話がありましたよね?
蜂谷
そうですね。実際に畳の上にいろいろな道具を並べていくんですけども、これがやっぱり500年以上ずっと継承してきた作法がありまして。志野流は特に作法を大事にしていますが、もちろん作法が全てではないですね。作法だけ覚えればいいんだったらロボットでもやれてしまう。でも、ロボットにはやっぱり心がないですから、私たちは作法のひとつひとつの手順、1から100か500かどこまで行くかわかりませんけど、全てに心を込めて、気持ちを込めて並べたり、そして当然香木を乗せたり、お香を聞くということもしますけど。その後片付けをしますよね。部屋から入る、出る。足の位置、歩き方、ふすまの開け閉め、全て決まっています。
山崎
なるほど。
蜂谷
なぜそういうことをするかというと、歴史が長いですので、一番美しい作法というのが決まってしまっているわけですね。私たち志野流はもともと銀閣寺でやりましたので、そこの和室10畳、京畳ですね、その中で、全て決まっている最高の流れがあるわけです。それを身に付ければもう最高っていうことですね。そこに自己流って必要ないんです。だから、私よく言うんですけれども、北海道のお弟子さんも、東京のお弟子さんも、京都のお弟子さんも、九州のお弟子さんも、もっと言えば北京の人も、パリの人も、みんな同じじゃないと困るんですね。そこに自分というのを出さなくていいですよ。なぜなら皆さん志野流のファミリーなんだから、志野流の最高のお手前をしてほしいと。昔の先生なんか怖くって、畳一目ずれるだけで扇子か何かでぱちんとたたかれますからね。
山崎
畳一目って、あみあみの、あの1個分ってことですか?
蜂谷
あみあみ側ではないですけども、気持ち的にはそれぐらいです。あみあみのあれひとつでもずれているといけないぐらいの気持ちでのぞんでいます。
山崎
すごいですね。どれだけ僕らが、毎日を雑に生きているかっていうことですよね。
蜂谷
そういったことをずっとお稽古で続けていると、日常生活のほうに反映されて。
山崎
そうですよね。
蜂谷
当然皆さま素敵な方ばかりですけども、なお一層素敵になれます。そういうところに気遣いがいきますので。例えば私たちは香炉を使っていますけど、レストランに行って何かグラスを持つときの所作でも、やっぱり美しくなっていきます。マナー教室とかいっぱいありますけど、志野流の教室に来ていただいたら、全て日常に反映されていくと思いますけどね。
山崎
天津でご飯食べている時も、蜂谷さんの前はきれいなんですよ。
蜂谷
よく言うよ(笑)。そんなの見てたの?
山崎
いやいや、見てましたよ(笑)。グラスの配置だったりとか、お手拭きの置き方とか、全然違いますよ。僕、その後ちょっと気にするようになりました。

100年の時を超え、自然だけがつくり出せるもの。

山崎
香道を次の世代に残していくということのひとつとして、蜂谷さんは植林もやられていますよね?
蜂谷
香道の素材、つまり香木ですね。これが、自分のお庭でつくれればいいんですけども、日本国内ではできない、沖縄でも採れない。一番近いところでベトナムとかですからね。そうすると、国外でそういった香道の素材を残していくためには、待っているだけでは駄目で、私の父が今から20年前からはじめましたが、香木を育てていこうと。やはり、今まで何百年も使用してきた立場ですから、木一本一本に命がありますから、そういったものを使わせていただいてきたので。500本、1000本の植林をして、そのうちの1本や2本にひょっとして100年後に香木できていたら、それはありがたく使わせていただこうと。ですから、使用するための植林ではなくて、今まで使ってきた分を地球に返していかないといけないなと。そういう気持ちで、今、私もそれを手伝っています。
山崎
今、お話の中でさらっと「100本のうち1本でもできればいい」とおっしゃっていましたけど、皆さんおそらく、「香木ってどうやってできるんだろう」と思っているんじゃないですかね。
蜂谷
そうですよね。香木というのは、100%自然界がつくるもので、それができるには何しろ100年近くかかるので、できていく過程というものを見た人間って1人も居ないわけですね。
山崎
なるほど。
蜂谷
だから、人間の力でつくることができない。しかも自分の寿命よりも長くかかると。いわゆる大学や研究所といったところがいろいろと調べて数値は出ていますけども。例えば私が知っている香料会社さんで、香木の最高の伽羅というものがあるんですけども、これを再現しようとしてもやっぱりできないっておっしゃっていましたね。
山崎
へぇ、そうなんですね。
蜂谷
なんとなくはできるそうなんですけど、はっきりと同じものはできないと。地球上でありとあらゆる化学香料ってできるんですね。ラベンダーもあるし、バラもあるし。それが香水に入っていたり、石鹸に入っていたり、シャンプーに入っていたりするんですけど、実は香木だけはまだ再現できないと。それぐらい未知の世界です。
山崎
20年前にお父様がはじめられたということは、まだそこからは香木はできていないということですよね?
蜂谷
そういうことなんですよ。今、木が成長していると思いますが、要はその木に偶然傷が付いて、台風で枝が折れたりとか、虫や何かがほじくったりして、そこにいわゆるバクテリアが偶然入ってきて、そうすると、木はその傷口に樹脂のようなものを集めてきて、それを凝固させると。凝固させた部分が1年、3年、5年とその中で大きくなってくる。要は化石みたいなもの。他の部分は木として生きているんでけど、その部分がいわゆる香木に変質していると。なので、ちょっと数年では駄目で。それが100年ぐらいたったときに素晴らしい香木になっていて、木はいつか死んで朽ちていく、腐っていく、香木は腐らないのでそれが地中の中のどこか埋まっていると。それを偶然見つけると。過程という意味ではそういった流れなんですね。
山崎
とてつもなく、気の遠くなるような流れですね。
蜂谷
父が植えて20年ですから、僕も駄目ですね。だから、僕の子どもか孫かぐらいがひょっとして使えるのかなっていう、そういうスパンで活動してますね。
山崎
なるほど。自然に対する向き合い方も全然変わりますよね。
蜂谷
変わります。常に私たちはお香と向き合ってるときは、同一化というか、ひとつになるということを目的としているといいますか。人間なんてちっぽけな存在で、特別な存在でもなくて、逆に地球を破壊しているぐらいですから。もう少し謙虚になって、木も一緒で、虫も一緒、みんな同じなんですよね。そういったことで僕たち香道というのは自然界と向き合っているので、それを鼻に近づけて思いっきり吸い込みますから、それはもうやはり自然界と会話をして、そしてひとつになっていくと。それができればひょっとして香道のある部分までは到達できたのかなと思うんですけど。僕もまだまだわからないこといっぱいあります。

日本から世界へ、21代目の道。

山崎
香道をこれから継いでいかれる身として、それこそ100年後であるとか200年後であるとか、タイムラインとしてすごく先を見られていると思うんですね。先ほどのお話にも、守るべきところと変えるべきものがあって、今、コミュニケーションの形は蜂谷さんがいろいろ変えられていると思うんですけど、そのあたりについてはどうお考えですか?
蜂谷
そうですね、それが毎日のテーマだったりしますね。なかなか正解というのはないんですけど。例えば、数日前ロンドンに居ましたけども、ロンドンで講座をするという時に、今までしたような話だと、全然皆さんに入っていかなかったりだとか。
山崎
そうなんですか?
蜂谷
逆にジョークを言ったらすごく受けただとか。その一日でも2回か3回のセッションがあると全部違うんですね。当然ですよね、来る方々皆さん生きていますから、どんなふうになっていくかって。僕の場合はシナリオとかなくて、その日その瞬間に五感で感じたことをアウトプットしていくという感じで。
山崎
なるほど。
蜂谷
ただ経験値はどんどん積めますから、その経験も豊富にありつつも、結局はその現場で「今、自分は何をしなきゃいけないか」というのを考えながらやっている感じですね。なので、3年後、5年後はまたどうしているかって、ちょっとまだわからないないんですけど、でも結局は自分でやることですから、皆さまからのアドバイスも聞きつつですね、結局責任を取るのは自分ですから、申し訳ないけれども、もう自分のやりたいようにやっていく。それが僕の21代目の姿で、で、またそれを次の世代につなげていくのかな、と。次の世代は次の世代でやり方はあると思います。それを僕が、あんまり指図とかはしないほうがいいんじゃないかなと思いますね。
山崎
なるほど。ちなみに今、海外のお話がありましたけど、海外の方って、やっぱりリアクションとかも全然違うものですか?
蜂谷
いやいや、それがですね、本当に日本の若者には申し訳ないんですが、日本の若者より皆さん勉強していますから、みんな茶道、華道、禅とか、能・狂言とか、すごく詳しいですよ。こっちがもう困ってしまうぐらい。だから、海外に行く時は、さらに勉強していくんです。全て答えられないといけませんから。それでいて香道というものをどこかで調べてくるんでしょうね。それはもう、皆さんとても感動してくださる。そのやりがいがあるから私も行くんですが、中には涙を流す人もいます。「本当に素晴らしい香りで、子どもの頃の思い出がよみがえった」とか。
山崎
うれしいですね。
蜂谷
それも結構何回もありますね、海外で。
山崎
その香りに対する考え方も、やっぱり違ったりするんですかね?
蜂谷
国によって全然違いますね。フランス含めヨーロッパは、やっぱり香水文化がありますし、香りに対する意識がとても高い国々はいっぱいあって、やりやすいと言えばやりやすいですね。
山崎
日本と海外と、どちらに比重を置かれていこうというのはありますか?
蜂谷
僕は両方同じですね。両方同じというか地球ひとつで考えているので、国境はないんですね。たまたま移動時間に2時間かかるのか、10時間かかるのか。たまたまパスポート必要なのかどうかっていうだけであって、僕にとってその堺目はありませんね。
山崎
なるほど。ありがとうございます。いろいろお聞きしたいんですが、ちょっとお時間がなくなってきましたので、「蜂谷さんにとって香道とは?」というのを、ちょっと情熱大陸ふうに答えていただけますか?
蜂谷
そうですね。本当に僕の体の一部であり、いわゆる旅ですよね。香りの道。死ぬまでこれをやってくんでしょうし、その答えがこの人生で見つかるかどうかわからないけど。それを楽しみにしつつ、一生懸命この文化を日本と世界に広めていきたいなと思っています。
山崎
ありがとうございます。では、最後にリスナーの方にメッセージをお願いします。
蜂谷
香道の教室は、実は全国にたくさんあって、今はネットですぐ検索できると思いますから、ぜひご連絡いただいて、まずは入門とかは何も考えずに一回体験にお越しいただきたいと思います。
山崎
松屋銀座の近くにもあるんですよね、この教室が。
蜂谷
はい。この銀座にも私の直接の教室ありますので、お待ちしております。
山崎
ありがとうございました。この時間は、香道家元後継者の蜂谷宗苾さんをお迎えいたしました。
蜂谷
どうもありがとうございました。

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