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PROFILE

クリエイティブディレクター /株式会社トノループ・ネットワークス代表
トム・ヴィンセント

1967年ロンドン生まれ。ロンドンの美術大学・セントラルセイントマーティンズとカリフォルニア大学で舞台芸術・脚本などを学び、1989年に初来日。1996年より日本永住。
1997年に大日本印刷のオンライン美術マガジン「nmp-international」の海外版編集長に。世界初のWEBアート専用ギャラリー「c-ship」やベネチアビエナーレで受賞した建築プロジェクト「メイドイントーキョー」のWEBサイトなど、さまざまなWEBプロジェクトに参加。1999~2006年、イメージソースの役員兼クリエイティブディレクターに。ソニー、富士フイルム、IBMなど、グローバル企業のブランディングやキャンペーンサイトを手がける。ワンショー、カンヌ サイバーライオンなど広告賞も受賞多数。バイリンガルオンラインマガジン「PingMag」を創刊・プロデュース。
2009年に株式会社トノループ・ネットワークスを設立。さまざまな企業のウェブや映像の仕事を手がける一方、多くの地域のプロジェクトに参加している。

RADIO REPORT

vol.42015.06.2619:30-20:30

トム・ヴィンセント × 山崎晴太郎

山崎
ソラトニワ銀座をお聞きのみなさん、こんばんは。アートディレクター、デザイナーの山崎晴太郎です。4回目になるのかな。本日は、クリエイティブディレクターのトム・ヴィンセントさんにお越しいただいております。こんにちは。
トム
こんにちは、はじめまして。
山崎
まずは、トムさんのご紹介を。1967年、ロンドン生まれ。ロンドンの美術大学、セントラルセイントマーティンズとカリフォルニア大学で舞台芸術と脚本を学び、89年に初来日。96年より日本に永住されています。97年に大日本印刷のオンライン美術マガジン『nmp-international』の海外版編集長を務められるなど、さまざまなWEBプロジェクトに参加。99年から2006年まで、イメージソースの役員兼クリエイティブディレクターに。ソニーや富士フイルム、IBMなどなど、グローバル企業のブランディングやキャンペーンサイトを手がけられ、ワンショー、カンヌ サイバーライオンなど広告賞も多数受賞されています。また、バイリンガルオンラインマガジン『PingMag』を創刊・プロデュースされ、2009年には株式会社トノループ・ネットワークスを設立。多くの地域プロジェクトにも参加されています。

日本で感じた、見えない壁が消える感覚。

山崎
まずは、トム・ヴィンセントさんの国境の感覚についてお伺いしてみたいんですけど、20歳までイギリスで暮らして、それから米国に留学されて、30歳を前に日本に移住をされたということですが、きっかけはなんだったんですか?
トム
最初は、イギリスでロンドンの美大に入って。でも、なんかつまらなくて、アメリカに行っちゃったんだよね。そこからはほとんどイギリスに住んでいない。
山崎
そうなんですね。そこから、日本に辿り着いて住み始めたのは、なにがあったんですか?
トム
アメリカに行って、わりとすぐに日本人と会って。その当時のガールフレンドなんだけど、彼女に「久しぶりに里帰りをするから、一緒に行かない?」って言われた。それまでは日本のことをまったく考えたことがなくって…。
山崎
それで、なにもわからないまま日本に?
トム
そう。だから、最初日本に来るときは、もう嫌でしょうがなかった。
山崎
感覚も全然違うし?
トム
そうそう。自分にとっては、全部逆さまだったね。「なにこれ?」って。うるさいし、狭いし…。でも、彼女が全部やってくれるから、「自分でやりたいのに」っていう感覚が強かった。特に、靴は困ったね。どこで脱げばいいか、どこで履けばいいか、さっぱりわからなくて。
山崎
それは確かにありそうですね(笑)。
トム
玄関に入って、靴を脱いで、そこに用意されている小さ過ぎるスリッパを履いて、すすすすすっと家の中を歩くんだけど、畳の部屋があるから、なぜかそこはスリッパで入っちゃダメなので、また脱いで。それで今度はトイレに行くと、なぜかミッキーマウスが付いている小さいスリッパがあって。で、その小さいスリッパを履いて、トイレを済ませて出てくると脱ぐのを忘れるんだよね。何回もミッキーマウスのスリッパのまま家中を歩き回っていて、困りましたね。
山崎
そこからどうやって、その感覚が変わっていったんですか?
トム
その旅行で最初は東京にいたんだけど、その後に田舎のほうに行って、いろんな人と出会って、どんどんおもしろくなってきたんだよね。僕はイギリス生まれで、育てられた環境が保守的というか。家庭はそうでもなかったんだけど、学校だとか、向こうの文化が全部そうだった。わりとしっかり線が引いてある感じがするの。
山崎
エッジがストリクトに決まっている感じなんですかね?
トム
なんというかね、難しい話だけどね、これは。でも、道徳的な部分ですかね。それにずっと違和感を感じていた自分が日本に来て、田舎のほうへ行くと、なんでもありというか、受け入れてくれる感じがして。それは、道徳がないということではないんだけど。
山崎
享受する器みたいなものはありますよね。
トム
その当時は、若いし、なにも知らないし、未熟だし、きっと失礼な事ばかりしていたと思う。でも、全部受け入れてくれて、ものすごくよくしてくれた。そこでなんか少しずつ「今まであった線ってなんだったんだ?」って。「あれは幻だった。本当の線じゃないんだ。この壁はないんだ。じゃあ、この壁がなかったら、その向こうになにがあるんだろう?」って。
山崎
その、線が消えたというのは、自分のライフスタイルやイデオロギー、そういうものと場所的な境界線みたいなものから自由になった感じだったんですか?
トム
そうそうそう。それがイギリスと日本は逆なんだよね。日本はどっちかというと、場所的にも空間的にも余裕がない。さっき、ここに向かっているときもラッシュなので、電車がすごく混んでいて。まあ、イギリスの電車も同じぐらい混むんだけど、なんか違うんだよね、これはなんだろうな。
山崎
空間に余裕がない分、懐が深いみたいな感じがあるんですかね?
トム
そうなのかな。許さざるを得ないという感じかな、日本の文化の中では。昔の話だけど、障子一枚隔てた向こう側はプライベートな空間だけど、全部わかる。わかるんだけど、ないことに。
山崎
そうですね、見ないものとしようと。
トム
そうそうそう。

がむしゃらに走りながら、走り方を学ぶ。

山崎
トムさんは、日本でお仕事されてから結構長いと思うんですけれども。日本の企業であるとか、地域であるとか、個人のおもしろさみたいなものを伝えるために、ある時はコンテンツから作ったり、メディアを作ったり…。方法論の境界線みたいなものがないように感じているんですが、どうですか?
トム
なんでもやるっていう感じですかね。
山崎
自分の居場所を決めていない、みたいな感覚もあるんですか?
トム
イメージソースができて1年ぐらいかな、僕が入社したのは。まだ数人しかいない会社だったんだけど、その当時、WEB業界にWEBデザイン会社がほとんどなくて。僕たちは大手企業の仕事を請けたんだけど、でも、大手企業も「WEBってなんだろう?」ってわからなくて。代理店さんが間に入るけど、代理店もWEBのことはよくわからないまま。誰もなにもわからないままで、必死にわかろうとしていて。僕らは一応プロのつもりなんだけど、でも、自分たちで必死に勉強している状態で。
山崎
今では、共通言語になっているようなことも…。
トム
うん。そのときは、まだ全然ない世界。それで、大きな予算の中でWEBに与えられている部分はほんのわずかでしかなくて。でも、僕らは生意気だったから、予算がない中でも、とりあえず提案をして、超えようとするんだよね。映像とかも提案するんだけど、「普通の映像制作会社にすると何百万とか何千万の世界になっちゃうんだけど、そんな予算がないからどうするの?」って。
山崎
どうしたんですか?
トム
「どうしようか?」「自分たちでやろうか!」って。結局、自分たちでやり始めて、それで走りながら走り方を勉強する感じですかね。
山崎
なるほど。まさにパイオニアという感じですよね。境界を越える・越えないという話以前に、境界がないところに踏み込んでいるから、常に必死で走りつづけて、そこに辿り着いたという感覚なんですか?
トム
まあ、単純に運が良いだけだね。たまたまそのタイミングでWEBの世界にいたから、パイオニア的なことができただけで。僕はもともと、芸術家だとか、「自由に生きていけたらいい」っていう無責任な考え方しかなくて。でも、仕事をしないといけないということになって、あるデザイン会社でお手伝いをしていたときに「WEB作れますか?」って聞かれて。わかんないんだけど、「本を買って勉強すればできるんじゃない」って、そこからスタートしたんだよね。本当にWEBの最も早い段階で、“World Wide Web”っていうものが生まれたてで、ネットスケープのブラウザがぎりぎりできたぐらいの時期に。

“なんでもあり”が生み出す、おもしろさ。

山崎
トムさんが今、手がけているプロジェクトには、どんなものがあるんですか?
トム
なんだろう。そうそう、今年、日本食のプロジェクトをひとつ立ち上げた。それは単純に、僕自身が食べることが大好きで、美味しいものが好きで、一緒にいるパートナーも料理が大好きっていうのがあって。今年、イギリスの実家に帰ったんだけど、うちの実家が田舎のほうの港町で、魚がうまいし、肉もうまい。その地元の食材を使って、日本のご飯ができないかなって。日本にいながら。これちょっと楽しくて。
山崎
イギリスの食材を使って日本の料理を作る。
トム
そう。地元の魚しか扱っていない小さな魚屋さんが、「この鱈を使って、日本人がやることってなんだ?」って考えて。いわゆる日本食を作ったり、あとは日本の食材を使って向こうの料理をアレンジしたりとか…。そういう企画を今やっていて、楽しい。
山崎
おもしろいですね!それはどこかで食べられるんですか?
トム
今は食べられなくて、WEBでレシピや料理が見られるだけ。でも、今年の10月にイギリスのその街でフードフェスティバルがあるので、勇気を出して出店することにしたんだよ。
山崎
楽しみですね。そういうのって、イギリスの方のウケとしてはどうなんですか?
トム
興味津々なんだよね。日本食は流行っているんだけど、本当のノウハウというか、知識がまちまちで。日本人は毎日寿司を食べていると思われていたりするんだよね。
山崎
この番組の後に、場所を移して、リアルトークサロンとしてまたお話を伺うんですけが、その会場が「クラシカ表参道」というお店なんですね。そこのシェフはステファン・パンテルさんというフランス出身の方で。日本の食材を使って、フレンチの技術で作るという、トムさんの逆バージョンをやられていて。そのお店のプロデュースをお手伝いさせていただいた関係で、彼の本を見せてもらったら、“フォアグラの奈良漬け”とかあるんですよ。
トム
いいじゃん。おもしろいじゃん、それ。日本っておもしろくて、そういうことができるじゃないですか。当然ピュアな日本の文化もあるんだけど、日本食は特になんでもありなんだよ。カツサンドを食べるのも、日本人だけだよね。
山崎
そうなんですか?
トム
トンカツをパンの中に入れて食べないんだよ。パサパサしてるし。パサパサしてるから一生懸命にパサパサしないように美味しくしようとするのが日本人。普通は、「ん?これはちょっと食べられないな」ってなるんだけど。負けずに改善して、解決して、めちゃくちゃ美味しいまい泉とかのカツサンドを作る。
山崎
その思考って日本ならではなんですかね?
トム
だって、「めんどくさいじゃん」ってそれで終わっちゃうんだよ、多くの国では。
山崎
たしかに。言われてみれば、それはおもしろいところなのかもしれないですね。

けばけばしさと繊細さの両極端を持つ日本。

山崎
日本って、住宅の考え方とかもそうなんですけど、特殊性が強いなと思っていて。そもそも、守る必要がないみたいなところから始まっているじゃないですか。西洋は、もともと隣国とつながっているから、壁の建築だったりとか、「プライベートエリアをどう守るか?」っていうところから始まっていると思うんですけど。日本はもう少し抜けているというか、結構ファジーな概念だなと思っていて。トムさんは日本に来られて、なにか日本に独特の概念とかがあるなと感じたりしますか?
トム
ファジーな部分とかモヤモヤした部分は、すごくあると思うんだよね。
山崎
空気を読む、みたいな。
トム
その中にはいろんな嘘もあるんだよね。「日本人はこうだよ」って、日本人同士で思っているけど、「そんなことないんだよ」っていうこともいっぱいあって。なぜかというと、ファジーな部分って誰も形にできていないんだよね。誰もちゃんと言えていないから、実はなんでもあり。
山崎
なるほど。
トム
でも、逆に、絶対に日本独特のものはいっぱいあるし、そういう意味で、建築はいちばんわかりやすいかもしれないね。形になっているから。日本の昔ながらの家は、廊下もないし、硬い壁はほとんどないし、どの部屋もどんな使い方でもあり。固定しているのは、基本的に仏壇と床の間だけで、あとは台所か。
山崎
そうですね。縁側から入ってもいいわけですしね。
トム
そうそう。僕は今、半分ぐらい田舎で暮らしていて、古い家に住んでいるんだけど、実際にある行事のときには、あえて縁側のほうから招くんだよね。玄関から入って靴を脱いで、実際に中に入るのはちょっとやりすぎ。そこまで招くつもりはない。でも、外にだけいてもらうのはちょっと悪いから、じゃあ縁側のサッシだけ開けて少しだけあがってもらって。それで行事を済ませて、庭を通って帰ってもらうという。よくできてるもんだよね。
山崎
おもしろいですね。それはあれですか?その土地のイベントというか。
トム
そうそう。弘法様という各家を回る行事。弘法様って空海ですね。その弘法大師様に手を合わせて、子どもたちがお菓子をもらうという、愛知県の風習なんだけど。
山崎
やっぱり住宅っておもしろいですよね、そういうふうに考えていくと。住宅で、床の間で、だから生花とか。やっぱり家の器の中で考えるようになるんですよね。
トム
僕、生花って、小学校から義務教育として取り入れるべきだと思うんだよ。お花は立体的だから、空間と色と、それはまさにファジーの部分。まさにそのモヤモヤの部分を、花を生かすことによって「日本人的な空間とはなあに?」ということが、ものすごく感覚的に身につくと思う。それをやっていたら、たぶんものすごい効果が出ると思うんだよね。
山崎
いろいろなものの考え方だったいりとか。
トム
九九を覚えて、その頃だと、ひらがな、カタカナ、最初の漢字を覚えて、同時にお花も覚えれば、ものすごく強いと思う。花のいいところはね、たとえば水墨画を描いてしまうと、つい漫画を描くと思うんだよ。つまり、わかるものを描いちゃうんだけど、花はできないじゃん。
山崎
コントロールしきれないところがありますもんね。その感覚ってなんだろう。日本でいうと、それこそ間とか、美意識みたいな言葉に集約されていくと思うんですけど、そのへんの感覚ってどうですか?
トム
美意識?これも先ほどの日本の嘘の一つだと思う。だって日本って両極端じゃないですか。ドン・キホーテの中のごちゃごちゃまぜまぜの、すごいけばけばしたうるさい感じもあって…。たいていの日本は、実はそうじゃないですか。
山崎
そうですね。
トム
ラブホのデザインとかね。「どこから来るの?」って。でも、生花もそうだし、お茶もそうだし、昔ながらの千利休の世界って、あんなにミニマルで、超繊細で、超洗練されている。他の文化にはまずない、そこまでは。だけど、実は多くの場合って、めちゃくちゃごちゃごちゃしていて。このギャップがまたおもしろいね。
山崎
そうですね。中間があまりないみたいな感じですもんね。そういう意味では、日本の独自の感覚というのは埋もれてしまっていて、客観視みたいな行き来ができていないのかもしれないですね。そんなこんなで、まだまだいろんな話を聞きたいところなんですが、お時間がちょっと迫ってまいりましたので、最後にリスナーの方にちょっとメッセージを。
トム
あら、メッセージ。これは難しいですね。僕からのメッセージ、聞きたいのかな。
山崎
聞きたいですよ。
トム
聞きたいですか。好き勝手に生きてください(笑)。
山崎
ありがとうございます。この時間は、クリエイティブディレクターのトム・ヴィンセントさんをお迎えしました。本日ありがとうございました。
トム
ありがとうございました。
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