銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン

隔週水曜19:00-20:00ON AIR

EVENT REPORT

vol.42015.06.2619:30-20:30

トム・ヴィンセント × 山崎晴太郎 / REAL TALK SALON

山崎
ラジオはどうでしたか?
トム
楽しかったよ。ありがとうございます。
山崎
毎回いろんなジャンルの方と話してますが、なんとなく話の着地点が見えることが多いんですが、今日はそれがまったく見えないのがおもしろかったですね(笑)。カツサンドの話とか。
トム
そうそう。どっから来たのかさっぱりわからないよ、カツサンドの話。
山崎
おもしろかったですけどね。日本にずっといると、当たり前にあるメニューなので。
トム
そうだよね。でも、僕はその「当たり前」という言葉をいつも疑問に思ってるよ。
山崎
それは意識的に思うようにしてるんですか?
トム
まあ、今は意識してますよね、たぶん。昔はそうでもなかったけど。
山崎
それはやっぱり、キーになっているトリガーがちょっと違うんですかね?最終的に辿り着くのって、ルーツだったり、根っこの価値観みたいなところだと思うんですけど。
トム
うん、でも、それは外国人だからじゃなくて、僕だからだと思うよ、たぶん。こういう天邪鬼で面倒くさい人間だから。常に「なんで?なんで?なんで?」って。5歳児みたいに。
山崎
なるほど。いろいろメディアもやられているじゃないですか?編集するとき、なにかネタを摘んできて、それを広げていくんだと思うんですけど、その拾い方も、世の中に対する疑問だったりとか、「なんかおもしろいな、変わっているな」っていうところを常に探しているような感じなんですかね?
トム
ひとつは単純な好奇心だね。あとは、ものを作る業界にずっといて、特に広告関係だとかいったものの中にいるから、人が作ったものにはあんまり驚きがないの。たとえばテレビを見ていて「ジャニーズってすごい!」って言って、嵐のファンになれるかっていうと、なれないんだよ。いくら僕が好きであっても、ファンにはなれないの。だって見えるの。
山崎
その裏が見えちゃう?
トム
うん。素直になれないんだよね。誰かが作ったのがわかる。ゲームをやっていても、「このゲームすげえおもしろい」って思わないの。「こういうふうに作ってんだね」「ここで手を抜いたね」「ここの動きは上手にやってるな」「これ絶対苦労してるな」って思っちゃうんだよ。
山崎
思考が忙しいですね。
トム
そう。僕ね、たぶんね、目に入る情報量が多いわけ。それは小さい頃から訓練してるから。まずね、見える範囲がめちゃくちゃ広いの。
山崎
情報量が多いんですね、たぶん。逆に、その「なんで?なんで?」という思考を超越するものってあるんですか?たとえば自然物とか。今日はラジオで生花の話もしましたけど。
トム
いや、なんでもそうだよね。あんまり区別しないと思うんだよね、ものに対しては。自分がひとつの器で、人間って変じゃん?すごくディープな話になっちゃって、僕が全然語れないような話なんだけど。おかしいんだよ、僕ら。だって、なんでこんなに物事を考えないといけないの?なんでこんなに言葉があって、こんな面倒くさい話をするの?なんで私たちはこういう建物を建てて、こんな飲み物を開発するの?そんな面倒くさいことをやるの人間だけじゃん。しかもその中で「これはやっちゃ駄目よ」って人間が言うんだよ、自分たちで。「えっ、なんで俺は今裸になっちゃ駄目なの?」って思うんだけど、でもやっぱり駄目でしょ。
山崎
いろんなルールを作るんですよね。
トム
これ、不思議でしょうがないの。どういうことだろうなって。わかるよ。喧嘩を防ぐとか、戦争を防ぐとか。でも、ちょっと待ってよ。じゃあ、なんでそんな喧嘩をするの?って。食べるためじゃないよ。生き残るためじゃないんだよね、これは。
山崎
そうですね。遺伝子の生存欲求かなって思いましたけど、ちょっと違いますもんね。
トム
そのへんがすごく不思議で、そこまでいっちゃうと、とんでもないことになって、そればっかり考えてしまうもんね。
山崎
常にゼロベースで疑問符を持ちつづけるっていうのは、すごく独特な感覚ですね。いや、独特っていう言い方もなんか違う気がするな。考えるレイヤーが、すごく原点回帰をしているというか…。なんでしょうね、今日の話は非常に感覚的で言語化が難しいんですけど。
トム
そうだよね。言語化が難しい。その「言語化」というのも、僕がテーマとしてずっと持っているもののひとつで。今日も番組の中で話した、ファジーっていう話。むずむず、もやもやした日本の…。
山崎
あいまい領域。
トム
そう。それを言語化することには、良いところと悪いところがあって。悪いところは、そう言ってしまうと、それだけになってしまう。日本人が「これは日本文化だ」と思っているものって、実は本当の日本文化じゃなかったりする。たとえば、武士道。新渡戸稲造が『武士道』って本を書いて、それで「侍イコール『武士道』っていう本に書いてあるもの」になってしまった。でも、絶対にお侍さんって、時代劇に出てくるような、しゃしゃしゃしゃって刀振り回すようなやつじゃないもん。ありえないよ、そんなの。悪いけど、そんなにかっこよくないの、人間って、みんな。
山崎
そんなにきれいに腹切れないですからね、人間は。
トム
そう。それがすごくいいケースで、そんなきれいにできない、無理よ。そこらへんを言語化してしまうと、きれいごとになってしまう。でも逆に、言語化しないとすごいもったいないものがあって。これは僕が興味を持っている裏テーマでもあるんだけど、本当の日本文化の中には言語化されてないものがすごく多いんだよね。明治以降、一生懸命、日本の頭の良い人たちが書こうとしていたんだけど、第二次世界大戦で行き詰まってしまった。結構おもしろいところまでいったんだけど、まだ未熟な、完成しないままで止まってしまって…。西洋文化がバーンと入ってきてしまった。日本の言語化されていない概念、あるいはやり方というのを、多くの日本人はなんとなくわかってるんだけど、それを道具として使えないというか利用できないから、西洋文化のマニュアル化されているものに走っちゃうんだよね。わかりやすい例を言うと、大手企業がちょっと前に一生懸命「ロジカルシンキング」とか言ってたじゃん。
山崎
流行りましたね。「クリエイティブシンキング」とかも。
トム
そうそう。それで、クリエイティブシンキングのマニュアルを作ろうとするじゃん。「おいおい」って思うよね。アメリカ人が作ったマニュアルを持ってくるだけで、使えなくはないし、それでやればいい感じになるかもしれないけど。そうすると、そっちのやり方だけになって、もともと持っているものが消えちゃう。たとえば、昔の日本企業のやり方って、職場も決めないで、とりあえず新入社員を入れる。「ちょっといい大学を出てれば、誰でもいい」って感じで。「じゃあ君は背が高いからここ」「君は可愛いからここ」「君は筋肉あるからここ」って、決めちゃったりするじゃん。それでとりあえず、よくわかんないまま、よくわかんない部長の下で、よくわかんない仕事をしてる。気がついたら27、8歳になって「あっ、私、できてるかも」って思った瞬間に、職場を移動させられて、それでも人間が育つんだよね。そのやり方は駄目だとは思わないの。めちゃくちゃおもしろいと思う、実は。でも、そのやり方が言語化されてないから、なにがいいか言えなくなっちゃった。そうすると昔の企業の良さが、全部消えてしまう。もちろん、悪さもあったからそれは改善すべきだろうけど、良い部分が同時に捨てられてる気がする。そういうことって、今の日本には多いと思うんだよね。
山崎
多いかもしれないですね。僕、日本って、日本語というものがすごく大事だなと思っていて。今日の話もそうですけど、すごく抽象的な表現が多い。なんでだろうとずっと調べていて、とある文化人類学者が言っていたんですけど、西洋だと、ある程度決まりごとがコントラクトですよね。言語で相手との意思疎通を明確にして、それで「お前は攻めてこないよな?」「じゃあ俺はこっち行くよ」みたいな。「お前はあの木をとってこい」「俺は餌をとってくるよ」みたいなことを、言語として決められていたと。だけど、日本はそもそも村文化で農耕民族だから、基本的に黙っていても物がとれた。そうすると村の中の空気さえ読めば生き残っていけた。要は、なにを決めるわけでもない。曖昧にグリップしていけば、争いを避けることができた。それが、日本の言語のおもしろいところだなと思っていて。その言語を使っているがゆえの功罪があると思っているんです。あいまい領域の中で、あいまいさとあいまいさがかぶってくるんですよね。そのかぶりの中にある概念っていうのが、まだ言語化されてないと思うんです。
トム
うん、あると思うよ。あると思うんだけど、今、いろんな話で日本人論的なことになりつつあって、それを僕は結構危険だなと思ってる。ある程度それはそうだなと思うけど、日本は村文化といったら、イギリスだって村文化だよ。一緒だよ、島国だし。だから、これは日本人の自慢話になりかねないんだよ。なかには正しいところもあるけど。たとえば、日本語という言葉の言語構成そのものには、たしかに独特な面があるんだけど、とはいえ、今の私たち、僕も含めて、しゃべっている日本語は半分ぐらい英語なんだよ。
山崎
そうですね。
トム
明治時代に日本語は完全に作り直されているので、実は使ってる言葉は英語とドイツ語。これはみんながよく知ってる話だと思うんだけど、明治末に作られてる日本語はすごく多くて、古文までいかなくても、江戸時代の日本語について調べて、やっと「あっ、日本ってきっとこういうことだね」って少しは見えてくると思うんだよ。たとえば、「しぜん」という言葉。「しぜん」という言葉は、自分に然と書くじゃないですか。あれはもともと「じねん」という読み方で、“そのもの”とか“そのまま”という意味でしかない。
山崎
ありのままの自分の世界ですね。
トム
でも、今の日本語で「しぜん」と言った瞬間に、あなたたちは英語を言ってるの。あるいは、ドイツ語。ドイツ語と英語、2つとも「ネイチャー」と同じ言葉を使うから。つまり、人間以外の自然。人間が作ったもの以外のすべては、「しぜん」じゃん。そのなかでは人間も動物だから、「人間も自然だよ」って中学生みたいな議論になる。
山崎
また別の議論ですね、それは。
トム
これは日本の概念じゃなくて、完全に西洋文化から入ってきたもので、言葉がなかったから、困った明治時代の頭のいいやつらが一生懸命字をあてて、たまたま仏教用語に「じねん」というありのままという言葉があって。すごく残念なことに、その言葉を壊してしまって、西洋文化の言葉に置き換えてしまった。そうすると「じねん」という概念が消えたの。だから、今の僕らは、江戸時代の日本人が持っていた「じねん」という感覚を持ってないの。日本人がそのときに持ってた物事の考え方、とらえ方、たくさんあるはずなんだよね。そこをもっと開発して、現代社会の中に使い道があるか、あるいはないか。日本人がもう1回当たり前の概念として「じねん」という感覚を持てたらどうなるんだろう、というのは興味があるよね。
山崎
そうですね。僕は江戸時代がすごく好きで。江戸時代の教養はなぜ高かったのかっていう研究があるんですよ。それは、西洋文化に上書きをされる前に、どれだけの教養があったのか。たとえば和算ですよね。その頃、微分積分みたいな考え方を海外から持ってきた数学者がいたんですけど、それを日本の若い子どもたちに教えようとしたら、寺子屋で小学生ぐらいの子どもたちが微積をやってたらしいんです、概念的に。それで、伝えるのを止めて帰ったというレポートが残ってて。
トム
あると思う。そういうのはね、すごく多いと思うんだよ。そういうのは、「昔はおもしろかったな」で終わらせちゃうんじゃなくて、今でも実は復活させたらむちゃくちゃ役に立つし、すごくいろいろなヒントあると思う。今、西洋文化がうまくいっているかというと、うまくいってないんだよ。行き詰まってるんだよね。それは多くの人がわかってる。でも、答えがないんだよ。向こうでは、日本人以上に必死に新しい答えを探そうとしている。でも日本には、実は多くのヒントあるはずなんだよね。すべての答えを持ってるとは思わないんだけど。
山崎
取っ掛かりはあるかもしれない。
トム
ヒントはあるんだけど、それを全然つかめてなくて。下手すると消えつつある。日本人は日本人ごっこになってしまう。悪く言うとね。田舎の方へ行くと、若者が地元に戻って、浴衣を着て、餅つきをやってるんだよね。素敵なんだけどさ、なんか「ごっごじゃない?」って。
山崎
なるほど。
トム
違うよって。それ田舎ごっこで、日本人ごっこをやってるんだよ。そこがなんかね、すごい違和感を感じて。本質はわかんないんだよね、たぶん。だから僕はラジオでも言ったように、小学生が1年生の頃から華道をやってほしいんだよ。華道では、花しかないの。お花しかないから、誰かがやったものをパクることはできなくて、自分の作ったものしかできなくて。この面倒くさい空間を自分でなんとかするしかないんだよね。でも、日本の道のひとつだから型があって。この型文化、これはめっちゃくちゃ強いぞ。「型文化だから、とりあえず素直に聞きなさい」っていう文化で、「とりあえず素直に真似なさい」という文化で、みんなここまできてるんです。
山崎
80点まではとれる文化。
トム
そう。80点かどうかわかんないけど、そうなの。偏差値がめちゃくちゃ高いんだよ、みんなの。これは日本のめちゃくちゃ強いところであると同時に、弱点でもある。80点ぐらいまでみんなきてるけど、それを乗り越えて飛び越えて、次の次元までいくのはなかなか。
山崎
難しいですね、それは。
トム
難しい。なんでかっていうと、その型があるということ自体を、みんな忘れてしまっていて、教育は完全に型文化なのに、社会にでると、「はい、忘れて」「はい、自分でやって」「税金払えばいいんだよと」と言われて、放り出されるわけで、その後がないんだよね。
山崎
たしかに。まだまだ話し足りないんですが、みなさんもトムさんといろいろ話したいと思うので、つづきは下で飲みながらにしましょうか。
トム
そうですね、じゃあみんなで下へ。ありがとうございました。
TOPへ

GUESTSGUESTS 一覧を見るMORE