銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン銀座四次元ポケットpresents 山﨑晴太郎の銀座トークサロン

隔週水曜19:00-20:00ON AIR
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PROFILE

著述家/画家
岸 由利子

著述家/画家

英国ロンドン・セントラルセントーマーチン美術大学FDM(ファッションデザイン・ウィズ・マーケティング科 学士号<Bachelor of Arts>)卒業。在学中、スーツの聖地・サヴィル・ロウ1番地「ギーブス&ホークス」で日本人女性として、約2年半に渡る異例のテーラリング修行を伝授。帰国後、ブランド「マルコマルカ」を創立し、東京コレクションにて最年少女性デザイナーとしてデビュー。ファッション界で活躍したのち、画家・著述家に転身。オーダースーツや腕時計などのファッション・芸術・文化などの分野で執筆する。近年の共著に「人を引きよせる天才 田中角栄」「先生が教えてくれなかった 大日本帝国」「武士道の極意に触れる流派から学ぶ日本の礎」(いずれも笠倉出版社)、スイスの高級メンズ腕時計を特集した「腕時計ライフ」(玄光社)などがある。また、絵画以外にも、墓石や棺のデザインも手がけている。

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RADIO REPORT

vol.282016.08.0319:00-20:00

岸 由利子 × 山﨑 晴太郎

山崎
松屋銀座屋上ソラトニワ銀座からお送りをしております、銀座四次元ポケットプレゼンツ山崎晴太郎の銀座トークサロン。アートディレクター、デザイナーの山崎晴太郎です。それではここでゲストの方をお迎えいたしましょう。著述家、画家の岸由利子さんです。ようこそ。
どうも、こんばんは。お招きくださりありがとうございます。
山崎
こんばんは。3日ぶりですね(笑)
いや、何かいつもと全然違う感じで、いささか緊張しております(笑)。
山崎
本当ですか?よろしくお願いします。まずは、僕のほうから簡単にご紹介させていただきます。岸由利子さんは、著述家、画家ですね。ロンドンのセント・マーチンズの美術大学に入学。専攻はファッションデザインとマーケティングだったんですね。在学中、スーツの聖地サヴィル・ロウで2年半、日本人女性としては異例のテーラーリング修行をされました。そのまま、マルコマルカというブランドを立ち上げられ、東京コレクションに最年少女性デザイナーとしてデビューされました。ファッション界で活躍された後は、画家と著述家に転身され、オーダースーツや腕時計などのファッション、芸術、文化などの分野で執筆活動をされていらっしゃいます。近年の著書にですね、『人を引きよせる天才・田中角栄』、『先生が教えてくれなかった大日本帝国』、『武士道の極意に触れる流派から学ぶ日本の礎』などがあります。また、絵画以外にも墓石や棺のデザインも手がけていらっしゃるということで、幅広く活躍されています。

100年にひとりの退学生。

山崎
そもそも、はじめてお会いしたのは『Wellib』の時でしたよね。
そうですね。
山崎
『Wellib』という、医療と文化をつなぐことをテーマにしたWebメディアを立ち上げたときに、編集チームのライターのひとりとして入ってもらって。そうしたら、「めっちゃ面白い人がいるぞ」ということになって(笑)。
本当ですか?ありがとうございます。
山崎
あの時、医療と文化をどうやってクロスオーバーしようかな、みたいなことを考えて立ち上げたんですけど、ずっと僕の頭の中にあったものを最初に記事として具現化してくれたのが岸さんだったので。
えー、早く言ってくださいよ!むちゃくちゃときめきバロメーターが上がってます(笑)。褒められて伸びる方なので。
山崎
じゃあ、どんどん褒めていきます(笑)。岸さんには、アレキサンダー・マックイーンの義足のお話を記事にしてもらったり、あとは英語が堪能ということで、アーロン・フォザリンガムさんという、車椅子でBMXのトリックみたいなことをやっているWCMXの選手を取材してもらったり。
マックイーンさんは学校の先輩でもありまして、その義足が出たコレクションが発表された時にまさに学生で、もう憧れといいますか、マックイーンさんが大旋風を巻き起こしている時で。最近だと結構、おしゃれな義肢装具とか出てきていますけど、最初に一石を投じたのがマックイーンさんじゃないかなと思いますね。
山崎
そうですよね。まさかのアレキサンダー・マックイーンさんが先輩だったということで。そもそも、岸さんもずっとファッションをやられていたんですよね?ロンドンに行ったのは、それがきっかけですか?
兵庫県の神戸というところに生まれまして、14歳ぐらいまでは割とガリ勉だったんですね。両親が「もうちょっと遊びに行ったらどうだ」と言うぐらい、勉強大好きだったんですよ。その頃は京都大学の文学部に行くという漠然とした夢を持っていたのですけど、途中で路線が変わったというか、ネジが外れる音がして(笑)。
山崎
ガリ勉からなぜ、ファッションの方に路線変更を?
ちょっと男勝りな、おてんばな子どもだったんですけれど、なぜか中高一貫の女子校に入ってしまい、思い切り外れていた感じなんですね。勉強はしていたんですけど、高校1年の途中ぐらいで自主退学という形で、退学を。要は「速やかにお引き取りください」と言われまして。高校創設100年で、1人目の退学者らしいですけど。
山崎
結構刺激的な話ですね、その辺りから。
そこからどうしようと。まだ15とか16とかだったので。いろいろ親が考えてチョイスを出してくれたんですけど、定時制に行くか、京都にいる親戚のところに行くか、働くか、留学するか。それで、「え、留学でしょ」と思いまして。で、父から「アメリカとオーストラリアどっちがいい?」と言われて、イメージで「アメリカ」って言ったら「アメリカはあかん」って言われたんですよ。
山崎
選択肢になってないみたいな(笑)。
なっていないんですよ。しかも父、行ったことないんですね、どっちも。完全にイメージなんですよ。結局それでオーストラリアでやり直すことになって。優しく国外追放ですね。
山崎
いやいや、そんなことないです(笑)。そこで高校を卒業して、そこからイギリスに渡ったという感じなんですか?
結局ファッションをやりたいと思ったきっかけはオーストラリアなんですよ。友達の母親が裁縫がすごく上手で、家の中にアトリエがあるんですね。そこで彼女もお母さんからいろいろ教えてもらって自分でつくっていて、それがまたかっこよかったんですね。それを見ているうちに、「あ、これやりたい」と思って。勝手に大使館へ行って色々と調べて、全て用意して日本に帰って、「ロンドンに行きたい」って言ったら、「頭おかしくなったのかって」って家族に言われたんですけど。

知らない世界を知りたい、というエネルギー。

山崎
いろいろな刺激を受けて、クラフトワークの世界に辿り着いたと思うんですけど、その表現の根幹みたいなものって、思い出したりしますか?
そうですね、特に何か表現したいというよりも、漠然とファッションデザイナーというものに憧れていまして。
山崎
どういうファッションデザイナーをめざしていたんですか?
目標はたった一人なんですけど、ジョン・ガリアーノさんですね。若気の至りで、彼みたいなデザイナーになりたいと思う一心で、しかも英語が多少できるようになっていたので、親には「もう全てOK」みたいなことを言ってロンドンに行ったんですけど。実は、行ってから受験だったんですよ。でも行ってしまいたかったんですね。で、落ちたら謝ろうと思っていたんですけど、そしたら受かってしまって。本当にこれ、初めて言ったんですけど(笑)。
山崎
今の話もそうですし、冒頭で紹介したサヴィル・ロウの話もそうなんですけど、エネルギーがすごいですよね。密度というか、ぐーっと圧縮していく元気玉みたいな。熱量の圧縮みたいなのものをすごく感じるんですけど。そういうことの原動力になっているものってなんですか?
原動力はやっぱり「知らない世界を知りたい」っていう好奇心に尽きます。今も昔も。興味のあることには、体が先に動いていますね。
山崎
なるほど。ちなみに、スーツの聖地であるサヴィル・ロウにも飛び込んでいって、テーラーリング修行をされていたということですが、日本人がそこにいって、最初は何をされるんですか?
サヴィル・ロウで、最初に私がお世話になったところはギーヴズ&ホークスというとこなんですけど、「絶対に、2日3日で辞めるよ」って言われたんですね。だけど、もともと、すごく地道な、例えば永久に正確に縫うとかそういうことが大好きなんですよ。だから、最初は中指に指抜きをつけて、自分の手をミシン替わりにして縫っていくわけですけど、薬指と小指がわーってなったら速度が落ちるから、2本の指をガムテープで固定されて、手縫いの練習からなんですね。延々に。そこからテーラーの方のお手伝いとか。
山崎
徐々にステップアップをしていくみたいな。
見よう見まねで。
山崎
教えてくれたりというのはないんですか?
ないです、ないです。「勝手に見て学べ」っていう。
山崎
完全に職人の世界ですもんね。やってみてどうでしたか?何かイメージと違ったなってこととかありました?
いや、楽しくてしょうがなくて、学校より真面目に通っていました。で、最終的には、セント・マーチンの卒業コレクションで、100万円分ぐらいの生地をスポンサーしていただきました。かつ職人さんたちが、「あなたのつくっているものはなんだかよく分かんないけど手伝うよ」って言ってくれて。平均年齢65歳ぐらいの職人さんたちが、みんな一生懸命に。トラウザーメーカーの方も、テーラーの方も、型紙やる方も、シャツメーカーの方もみんな手伝ってくださって。ショーも見に来てくださったんですよ。そうしたら、終わった後に「良かった。良かったけど何が良かったのか分かんないし、あなたの服はやっぱりわかんない。でも良かった」って(笑)。
山崎
すごいですね。話を聞いていると、クオリティーがそこだけパリコレですもんね。
本当にいつか、お返しをしたいなってすごく思いますね。
山崎
ロンドンの大学を卒業後に独立されて、マルコマルカのデザイナーとして、最年少で東京コレクション参加ということで。それは、自分のブランド立ち上げて活動するなら、日本を中心にしたいという想いがあったんですか?
全然なくてですね。卒業後、アルバイトしながら半年いたらビザが切れてしまったので、ちょっとお金を貯めに帰ろうと思っていたんですよ。そしたら、帰ってきた直後に待ち構えていたみたいに父親が亡くなったんですよ。それで気づいたらもう今なんですよ。
山崎
そういうことなんですね。じゃあ、まだちょっと稼いでる途中みたいな気分もあるんですか?どっかで戻ってやろうみたいな。
そうですね、行きたいですね。どこにというこだわりはないんですけど、今は逆に。
山崎
国境の意識って、日本人は結構強かったりするじゃないですか。海外へ行くにも英語がとか、文化がとか、いろいろなエクスキューズがあって。そういった日本の国境の意識やクリエイティブに関して、何か思うところはありますか?
そうではない方もいらっしゃるとは思うんですけど、やっぱりすごく堅いなとは思いますね。もっとほぐしていい、もっと自由でいいんじゃないかなと。そういうのは全体的に感じます。あと、どんな分野でもすごく綺麗なものが多いので、もっと生っぽいものがあればいいなって個人的に思いますけど。ただ、それが逆に日本らしさだったりもしますからね。
山崎
確かに静的な感じはありますよね。静寂を大切にするような。ちなみに、ファッションデザイナーとして、いろいろとファッション業界でご活躍されていたと思うんですけど、一番楽しかったことや思い出に残っていることってありますか? 
やっぱり、コレクションですかね。当時の相方と一緒にやっていたんですが、自分たちのパフォーマンスみたいなものを最後に出てきてやるわけですよ、そのコレクションの一部として。それもひっくるめて、洋服をかっこよく見せるだけじゃなくて、ださいとか、危険とか、新しいとか、アバンギャルドとかそういうもののぎりぎりのところを表現したかったので。箱も含めて。
山崎
もう全体をキャンバスにするみたいな。
それがやっぱりすごく楽しかったですね、お祭りみたいで。
山崎
なるほど。今いろいろな分野をやられているということも、俯瞰をして見た上で、総合芸術みたいな感覚もあるんですか?
ブランドをやりはじめた時に意識はしていなかったんですけれども、振り返るとそうかもしれないなっていうところは、無きにしもあらずかもしれません。

マスではなく、オーダーメイド型の仕事を。

山崎
ファッションの方は順調だったわけですが、そのままやっていこうという感じにはならなかったんですか?
ならなかったんですね、人生いろいろありまして。
山崎
これね、みんな気になると思うんですよ。「えっ、なんでそこまで行ってて」って。まだね、画家というのは想定内の転身だと思うんですけど。文筆家というのは意外性がありますよね。それは、何があったんですか?
実はですね、一度結婚をしていたことがございまして、その旦那さんていうのがロックバンドのメンバーで。それで、お付き合いしている時から、読み返したら気持ち悪くなってしまう、恥ずかしくなってしまう、エモーショナルな詩を書きためていたんですね。その話を当時の旦那さんにしたら、それをバンドのリーダーの方に面白おかしく話していたみたいで。で、あるとき、英語で作詞をすることが必要になったと。そしたら何かそのリーダーの方がやってみないかって言って。私はその、エモーショナルな青い時期の延長線上で、まさかその文章でお金を頂けるなんてこと思っていなかったので、やったんですよ、3曲、やらせていただいて。そうしたらCDがバーンと出て、印税たるものをいただいたんですよ。びっくりしちゃって。「よし、デザイナー辞める!」って思ったんですよ、その時に。
山崎
なるほどね、そうなんですね。じゃあ、環境が転身させたみたいな感覚もあるんですか?
はい、とても自然な成り行きだったんですけど。皮肉なもので、そのきっかけを与えてくれたのはそのバンドであり、その旦那さんであるんですけど、もれなく転身と同時に結婚生活も終わらせてしまいまして。ま、いろいろありますよね。全部肥やしになっていくので。
山崎
芸の肥やしにね。
ゲイの肥やし…、何でゲイなんですか(笑)?
山崎
違う違う、芸能の芸ね(笑)。それゲイ違いですよ。ちなみにそういうきっかけがあって、そこから「じゃあ、デザイン辞める」って、結構な話だと思うんですけど、書くことの方が楽しかったんですか?
楽しかったのと、ブランドが大きくなるにつれて、マスプロデュースというか、大量生産の服をつくることが自分に合ってないと感じて。オーダーメイドのように、自分だからやらせていただいて意味があることっていうほうが合っているなというのに気がついていて。ちょっと悩んでいた時期でもありましたね。そこにスコーンと来たもんで、「よし、辞めよう!」と。
山崎
それで転身した後で、その文筆の世界で活躍できるというのがまたすごいですよね。それって何か苦労とかはなかったですか?だって普通、小説家だったり、ライターだったりの人って、昔から文学が好きで、それを研究して書きためてて、みたいなイメージがあるじゃないですか。
私いきなり入ったの、小説からなんですよ。旦那さんとのお別れの悲しみを乗り越えるために、これしかないと思って、いきなり私小説みたいなの書き出して。それで、今はあるかどうか分からないですけど、松尾スズキさんが監修されている『本人』っていうサブカルチャー系の雑誌の新人賞に応募したんですよ。そしたら最終選考に残って。受賞はできなかったですけど、それで、「よし、もっと勉強しよう」と思って、脚本の学校へ行ったり、いきなりテレビ局で構成作家の卵みたいなことをしたり、とりあえず「書く」ってことを全部経験したいと思ってやっているうちに、いつの間にか現在の形になったという。一時はファッションから遠い世界に行こうとしていたんですけど、巡り巡ってやっぱり戻ってきて。面白いなと思いますね。
山崎
岸さんの現在の肩書きは著述家ということで、これには何か込められた想いみたいなものがあるんですか?
ありまして。以前は文章に筆と書いて文筆家だったんですね。でも文筆家っていうと、一般的には多くの方が「文字を書く方ですか?」って言われるんです。習字とかの方ですね。それで「ちょっと違うな」と。ライターってカタカナで表記しても良かったんですけど、自分にとってちょっとライトな感覚がありまして。自分は文章で身を立てているぞっていうことの自負と、ちゃんとやるんだよっていう責任感、重厚感のある、という意味で付けさせていただいております。
山崎
向き合い方も変わりますよね。ちなみに、ファッションでは総合芸術的なものにやり甲斐を感じたというお話しでしたが、文章を書いていて、楽しい、気持ちいいと感じることって、どんなことですか?
やっぱり感覚的に絵を描いたり、デザインするよりは、すごく産みの苦しみみたいなものはありますよね。勉強不足だなっていうか、読んでないと書けないですし、常に。だからうれしいとか、気持ちいいなっていうのはやっぱり、この人だったり、このことをこの言葉で表現したいっていう言葉や表現がふわっと出てきた時ですかね。
山崎
なるほど。自分が書いたことばが相手に届くというのもありますし、岸さんの場合はすごく多くの方にインタビューされていますよね。その中で、受け取り手として印象に残っている言葉ってありますか?
実はちょっとありまして、ここにメモしてあるんですけど。有川真由美さんという、女性の生き方についての著書をたくさん出されている方で、累計100万部のベストセラー作家さんなんですけど。私がもともと有川さんの大ファンで、インタビューをお願いしたんですね。有川さんいわく「こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、基本的に人生は遊び。例えるなら夏休みみたいなものだと思っています。長い休暇中、家でごろごろして過ごすこともできるけれど、その気になりさえすればなんだって経験できますよね。休みが終わる頃、一皮むけた佇まい、そう、日焼けした顔で、ああ、楽しかったと言えたら最高。人生もどうせなら行けるところまで行ってみたいですね。いろいろあったけど、でも楽しかったと終われたほうが幸せじゃないですか。自分が幸せになれる時間は、誰しもみんな自分が1番よく知っているもの。探し求めている答えは既に自分の中にあると思います」。っていうのがこう、ちょっと自分がぐらぐらしている時に。インタビュー中にお聞きしたときに泣いちゃったんですね、目の前で。もう家帰ったら目の周りパンダになってまして、こんな顔でよく大ファンの方にお会いしたなという。
山崎
でも気持ちは伝わったんじゃないですかね。
だといいんですけど(笑)。

表現とは、人間を愛すること。

山崎
先ほどは著述家としてのお話をいろいろとお伺いしましたが、実は肩書きが併記になっていまして。著述家、画家ということで。これはいつ頃からですか?
これは転身というか、いつの間にかはじまっていたんですね。最初のきっかけは、まだブランドをやっている頃で、店内が寂しいからといって絵を描いて飾っていたら、「買いたい」という方が出てきて。「じゃあ」って、描いているうちに、そのまま近年ではお店の壁画をやらせていただいたりとか。
山崎
すごいですね。今は、どんな作品を描かれているんですか?
去年から考えて、ちょこちょこはじめていたんですけど、煩悩の数だけ男性の顔を描くという。
山崎
おお、108つ。それは煩悩の顔ですか?
煩悩に興味がありまして。写経をしてたんですよ、自分が煩悩だらけなので。でも、写経が終わった後、飲みたくなるんですよ。で、すぐ飲みに行っちゃってまた昼間っから煩悩だらけに。女の子と二人で行っていたんですけど、「煩悩だらけだね」ということで、その写経クラブみたいなのは1年半ぐらいで終わったんですけど、その時に感じたのは、煩悩があってこそ人間じゃないかと。そういう煩悩って、歳を重ねれば重ねるほど、顔に出ると思うんですよ。それで今やりはじめています。
山崎
なるほど。いろいろなバリエーションがありますもんね。
でも、ちょっと気を抜くとみんな同じ顔になっちゃうんですよ。
山崎
108つ描き分けるって結構大変ですよね、正直。
今32名ぐらいなんですけど。ちょっとお願いがありまして、山崎さんぜひ描かせていただきたい。
山崎
おお、ぜひ描いてください、お願いします。どのぐらいのペースでつくっていかれてるんですか?
今は1日1枚。でもやっぱり1枚で終わらない時もあるので、並行して6枚っていう時もありますけど。どれにしようかなみたいな。
山崎
それは、1年に2個とか3個とかつくって発表しようとか、そういうのを決めていたりするんですか?
ではなく、108枚描いたものを来年全部一気にどーんって出せれたらいいなと。
山崎
文章と絵を描くということと、まったく思考のフレームが違うじゃないですか。その振り子の切り分け方って、なにかあるんですか?
私の場合、音なんですよ。文章を書くときは全く無音でやるんですけど、無音なのに耳栓しているんですよ。それがすごく落ち着く。逆に絵を描くときはもうガンガン好きな音楽を1曲エンドレスリピート。気が振れたのかっていうぐらい延々に同じ曲を聴くんですよ。そしたら何かぐわーって上がってくる。
山崎
面白いですね。岸さんの脳のクロスオーバーのさせ方というのは、非常に興味深いですね。ちなみに、最近Facebookで、よく舞妓さんの写真を上げられていますよね?あれは何をやられているんですか?
あれはですね、お仕事で京都の原町に関わらせていただくことがあって、そこから自分自身はまってしまいまして。単独で取材をずっと続けているうちに、何か基地みたいなものをつくりたいなと思って。で、『BRAVO NIPPON(ブラボーニッポン)』というサイト(https://www.facebook.com/bravonippon/ )をつくって、独自の視点で原町の文化でしたり、狂言だったり歌舞伎だったりを伝えていこうと。以前、半分は日本に生まれた日本人として、半分はちょっと外国の観光客的な視点があるって人に言われたんです。例えば舞妓さんの写真の撮り方とか見方とか。だからそれを、魅力を伝える上でそういう視点から書かせていただくのも面白いかなと思って。
山崎
なるほど、面白いですね。普通、ライターの人だったら、取材をして文章を書いて終わりとか、一冊の本にして終わりというのが、多いと思うんですけど。それをメタ化して、じゃあサイトにしていこうとか、見ている視点がすごく複合的な印象を受けますよね。
山崎さんにそう言っていただけたら自信になります。「私は何をやっているんだ」ってたまに思うことがあるので。舞妓さんとか芸妓さんの写真をずっと見て、一人でニタニタしていて、気がついたら夕方になっていてみたいなことがありますから。いや自信になります。ありがとうございます。
山崎
とんでもないです。あと、岸さんは墓石とか柩のデザインもされているということなんですが。僕も昔、お墓のデザインをやったことがあって。僕はそれが、若干ものづくりのトラウマみたいになっていて。お墓って、圧倒的な時間に対する責任とか、家に対する責任とか、そういうものがあるじゃないですか。24歳ぐらいだった僕には、それが消化しきれなくて。なので、岸さんのお話を聞いてみたいなと思っていたんですけど。
最初びっくりしました。「できるでしょ」っていう感じでご依頼いただいて。でも基本的に「目の前に来ることはできないことはない」っていうのがモットーだったりするので、一晩考えた結果、「お引き受けします」ということで、そこから勉強してやったんですけど。やっぱり、そんなに簡単ではないですよね。ただ、長く残っていくものをつくるというのは、すごく面白いことだなと思いました。それだけ労力もパワーもいりますけど。でも考えた結果、どう考えても飛んでいる感じになっちゃったんですけど。扇がバンバンバンバンバン!みたいな。
山崎
まあ作風みたいなものもありますからね、そこは。そんなお話もできてすごく楽しいなと思いつつ、時間がぼちぼち迫ってきたなということなので、岸さんいろいろな表現をやられていますけど、岸さんにとって表現とはなんですか。
世界を愛すること。人生を愛すること。仲間や家族を愛すること。そして自分を愛すること。私は人間が好きですね。
山崎
なるほど、素晴らしい。ありがとうございます。情熱大陸くるんじゃないですか、これ(笑)。
いやいやいやいや(笑)。
山崎
ということで、最後に、リスナーの方にメッセージをお願いします。
はい。それが文章なのか、絵なのか、詩なのか、何かのデザインなのか。それともまた違う何かなのかは分からないんですけども、私が今後これからも手を携えさせていただく何かを通して、多くの方たちと時空を超えた会話ができたら、さらに願わくば実際にお目にかかれたら、無上の喜びです。
山崎
ありがとうございました。この時間は、著述家、画家の岸由利子さんをお迎えいたしました。
ありがとうございました。

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