2018.08.19
岡部将和 vol.1
ドリブルデザイナーになるまで
2歳上のお兄さんに影響でサッカーを始めたという岡部さん。小学生の時には神奈川県大会で優勝、横浜FマリノスJr.ユースを経て、桐蔭横浜大学サッカー部でキャプテンを務めるというサッカーキャリアを積んでいきます。
Jリーグのクラブへ練習生として参加もしていたという岡部さんですが、「好きなプレーには探求心があるけど、ディフェンスやヘディングの競り合いなどに興味が湧かない」タイプだったのだとか。大学卒業の頃に、フットサルのプロリーグ・Fリーグ創設の話を聞き、細かいプレーが活きるフットサルへの転向を決意したと言います。
ここでフットサルを選んだことが、現在のドリブリデザイナーという仕事への大きなきっかけとなったようです。
ドリブルデザイナーになったきっかけ
プロ化の話に魅かれてフットサルプレーヤーとなった岡部さんでしたが、実際はセミプロといった契約だったそうです。そのために副業をしなければならず、子供へサッカーやフットサルを指導するようになります。
そこで、指導することの面白さに気づいた岡部さん。ご自身がプレーヤーとしてはカラダ小さく、常に考えてプレーしていたそうですが、その一旦を子供に伝えて成長していく姿を見ることに魅かれていったと言います。
何事も「その分野で1番になった姿を想像して、そこに向かって突き詰めてく」という岡部さんは、指導者としての1番を目指すことを決意。フットサルプレーヤーを辞め、指導者への道を歩み出していきます。
指導者としての考え方
「感覚で説明できるものを言語化できるのが自分の武器」という岡部さん。それもあって、現在は小学3年生以上の選手を指導しています。その際に“教える”という意識は、あまり持っていなそうです。
選手が自主性を持って、自分で考えて自分なりの方法を手にするための“きっかけ作り”が指導者がするべき事というのが岡部さんの考え。背中で見せながら、チャレンジする姿勢を応援するようにしていると言います。
ロシアワールドカップで活躍した乾選手、原口選手、宇佐美選手らも指導している岡部さんのドリブルデザイナーとしての活動は、来週たっぷりとお伺いします。
ついコレクションしてしまうモノ
職業柄か、健康器具に目が無い岡部さん。ストレッチポールや筋膜リリースのような、筋肉を緩めたり可動域を広げるようなものをつい買ってしまうのだとか。
しかし、どれもそれなり場所を取るので、奥様が実家に避難させていることも珍しくないそうです。どんどん買ってしまう健康器具ですが、「全然続かない」とのこと。スポーツ系の職業の方でも、流行りの健康器具を使い続けるのはなかなか難しいようでした。
といった所で、今回の文化百貨店も閉店となります。次回も岡部さんに登場いただき、ドリブルをデザインする仕事とは一体どういったものなのかという部分を中心に伺っていきます。
今回の選曲
岡部将和さんのリクエスト
アイネクライネ / 米津玄師
山崎晴太郎セレクト
Rays of light / Tigran Hamasyan