2019.08.11
飯田 淳 vol.1
デザインの仕事を始めるまで
飯田さんの若い頃は、版画家とグラフィックデザインの行き来が多かったそうで、版画家を目指し大学では、グラフィックデザイン科に通っていたそうです。卒業後、一度は企業に就職したものの、仕事があまり忙しくなく「このままでは、なまってしまう」と一念発起して、独立。アパレルの仕事をしていた友人の所に居候をし、その周りからTシャツや織ネーム、チラシなどの制作依頼を受け「原宿のデザインの便利屋」みたいな存在になっていきう、今に繋がっていったのだそうです。
当時の原宿にいた、若い経営者やDCブランドをつくった同世代の人たちは、海外志向が強かったようで、海外旅行が高かった時代に、頻繁に仕入れやインスピレーションを受けるために渡航していた人が多かったのだとか。そんな人たちが持ち帰った、子供靴をベースに大人用の靴をデッサンして、商品づくりを手伝ったりもされていたそうです。
海外ハイブランドとの仕事
原宿の便利屋を経て、様々なコマーシャルアートを手掛けてきた飯田さん。能動的に自分のやりたい事をするために始めたのが、毎年6月に開催されている個展。同じようなものにならないために、技法や素材を変えたりしながら、毎年チャレンジを続けていると言います。
若かりし頃の周囲の影響もあってか、ご本人も海外志向を強く持たれていたそうです。そこで、Bの鉛筆と画用紙だけで身の回りのものを描いた、ある年の個展の作品をまとめて、ダイアリーのようなアイテムを制作。それを、個人的に好きだったコンランショップに持ち込んだところ、オーナーのテレンス・コンラン氏が気に入ってくれ3000部を世界中のショップに置いてくれるようになります。
このことをきっかけに、フランスの老舗百貨店のアートディレクターから「こういう作家なら、フランスで仕事をしたら良いんじゃないか」と言わると、今度は別の方から「君みたいな絵は、ハイブランドが好きかもしれない」というアドバイスを受け、知人を通じてHermèsに作品を持っていったところ、ディレクターがコンランショップで作品を見たという『わらしべ長者』のような偶然が重なり、その半年後にはHermèsから仕事のオファーがやってきたのだそうです。
Hermèsのディレクション
Hermèsからオファーを受けた飯田さんは、描くべく商品が完成していなかった事もあって、フランスに渡り、プレスルームで作業をしていたのだそうです。そこでのディレクターからの指示は、具体的な事というよりかは、詩的なコメントで飯田さんの頭の中に画を送ってくるようなディレクションだったと言います。
例えば、バングルを描く際の指示は「パーティーから帰って来て、枕元に置いてシャワーを浴びている感じ」。時計を描いた時には「陶器に置くと、カツンと音がするような質感」。帽子は「置き忘れた帽子」という具合だったのだとか。
通訳者がいてのやりとりだったそうですが、ディレクターとイラストレーターの感覚の信頼関係から成り立つ、独特のコミュニケーションの中で、イラストを仕上げていたそうです。
雑誌『GINZA』のロゴ制作
身近な所では、雑誌『GINZA』の印象的なGのロゴも飯田さんの手掛けたもの。再創刊にあたり、お世話になっていた方が編集長に就任された事から依頼が来たそうですが、元のイメージがあっただけに、なかなか大変な部分もあったと言います。
いくつかパターンをつくって、誌面に乗せたもののピンと来なかった飯田さん。しかし、太めの筆を用い、黒のアクリルカラーで一気に描いた一筆書きのGの文字は、すべてが新鮮に見えて国籍不明な印象になったことから、「これしか無い!」と確信。当初は、雑誌の関係者は半信半疑だったようですが、今では雑誌『GINZA』を象徴するマークとして浸透。デザイン畑で生きながらも、ファッションや音楽といった様々なカルチャーと繋がりながら表現してきた飯田さんならではの感性が、雑誌と化学反応を起こしたのかもしれませんね。
といった所で、今週の文化百貨店は閉店となります。来週は、飯田さんが携わってきたコラボワークについて伺っていきます。
今週の選曲
飯田さんのリクエスト
Altogether Alone / Hirth Martinez
山崎晴太郎セレクト
Day In Day Out / Goldmund